2005年 09月 11日 (日)
今はあざ笑われるヨブ
Ⅰ.卑しい者のあざけりの歌になったヨブ(1-15)
前には、ヨブの羊の群れを守る番犬にもならない卑しい者の子どもたちが、今はヨブをあざ笑いました。彼らはうす暗い谷の斜面や土や岩の穴に住み、ろばのように叫んでいた者たちで、卑しい者の子どもたちでした。ところが今ヨブはそのような者のあざけりの歌となりました。このような経験は無意味なようですが、これを通してヨブは卑しい者の苦痛を知るようになり、神様がお与えになった高い地位がいかに尊いのかを知るようになるのです。卑しくなることは良い訓練なのです。
Ⅱ.神様は私を泥の中に投げ込み(16-31)
ヨブは肉体の疾病によって心を自分に注ぎ、骨がえぐりとられ、体をむしばまない日がありませんでした。彼は「神は私を泥の中に投げ込み、私はちりや灰のようになった。」と嘆きました。彼は、神様が彼を深い絶望に投げ入れ、軽蔑の対象にされたことを知りました。人がこのようになれば落胆し、自暴自棄になったり神様を恨んだりしてしまいがちです。しかしヨブは落胆したり神様を恨んだりはしませんでした。むしろ泥の中から救ってくださいと神様に叫びました。ところが神様はその祈りを聞いてはくださいませんでした(20)。それで彼は自分の立場を悲しく思いましたが(21-31)、そこには神様の深い御旨がありました。ヨブは正しい神様を信じ、その御旨がなされる時まで、耐え忍ばなければなりませんでした。神様の愛には忍耐が必要です(ヘブ10:36)。
祈り:主よ!私も泥の中で卑しさを味わいました。しかし神様の愛と恵みは不変のものであることを告白します。
一言:卑しさを通しての霊的訓練
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