2012年 04月 01日 (日)
神様の大いなる御業
Ⅰ.人はどうして神の前に正しくありえようか(25章)
ビルダデは、神様の法廷に立つことを願うヨブの話を聞いて、神様がどれだけ大いなる方であるのかを、証ししました(1-3)。そして、「人はどうして神の前に正しくありえようか。」と言いました。うじである人間、虫けらの人の子とさえ、言っています(6)。彼の言葉は、ある程度は一理あると言えますが、神様の愛を知らない律法的な言葉でした。人は罪人ですが、神様は、ひとり子を賜るほどに愛される存在です(ヨハ3:16)。それで私たちは、人の存在そのものを尊く思う心を持たなければなりません。
Ⅱ.だれが、その力ある雷を聞き分けえようか(26章)
試練を受けているヨブに必要なものは、暖かい慰めと逆境を耐え忍ぶことのできる力と、その試練に隠された神様の御旨をしる知恵です。ところがビルダデは、このような助けを与えることができず、ヨブを苦しめてばかりいました。人をよく助ける牧者になるためには、人間愛がなければならず、神様についてよく知っていなければなりません。ビルダデは神様をよく知っていると思い込み、ヨブに忠告しましたが、人が神様を正しく知ることはあまりにも難しいことです。神様は北を虚空に張り、地を何もない上に掛けられ(7)、海をかき立てるラハブ(海の怪物)と逃げる蛇(空中の悪の勢力)を指し通される全能なる方です。しかしこのような行ないは、神の道の外側にすぎません。人がこの神様を知っているなどと、軽々しく言ってはいけません。
祈り:主よ!私が大いなる主について、軽々しく話すことはできません。ただ、謙遜に学ぶように助けてください。
一言:神様について、軽々しく話してはならない
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