聖書別日ごとの糧   >>   伝道者の書[2007]

2007年 01月 27日 (土)

伝道者の書2:1-17
快楽もむなしい

Ⅰ.快楽のすえ(1-11)
 ソロモンは、どのようにすれば肉体の快楽を最大限に受けることができるのか、悩みました。まず第一に酒で肉体を楽しくして見ました。その次には、事業を拡大し、邸宅を建て、銀や金、宝を集めて見ました(8)。また男女の歌うたい、美しい女たちをそばめとして手に入れました。彼は目の欲するものは何でも拒まずに、心のおもむくままに、あらゆる楽しみをしました。しかしその快楽の終わりはどうだったのでしょうか。
 しかし後に、彼が手がけたあらゆる事業と、労苦がむなしいだけであることを悟りました(11)。物の豊かさと肉体の快楽はしばらくの間、私たちを楽しませますが、結局はその終わりには満たすことのできない虚しさだけが残ります。
Ⅱ.知恵ある者も愚かな者とともに死んでいなくなる(12-17)
 ソロモンが見る時、光がやみにまさっているように、知恵は愚かさにまさっているようでした。知恵ある者は目が明るく光の中を歩き、人々の指導者になります。それで人々はお金と時間を投資して勉強し、知恵を得ようとします。しかしソロモンはこれもまたむなしいと言います。その理由は、知恵ある者も愚かな者も、日がたつと、いっさいは忘れられてしまうからです(16)。人のどんな知恵も、死の限界を克服することができません。このような死の限界を抜け出すことができるのが、本当の真理です。

祈り:主よ!私がソロモンが受けた富や栄光によって、本当の喜びを得ることができないことを悟りました。今、主だけを喜び、生きて行きます。

一言:ただ、主だけが私の喜び



2007年 01月 28日 (日)

伝道者の書2:18-26
自分の労苦に満足を見いだすよりほかに

「人には、食べたり飲んだりし、自分の労苦に満足を見いだすよりほかに、何も良いことがない。」(24a)
 伝道者は世を生きながら、多くの労苦をしたことを憎みました(18)。骨折ったいっさいの労苦と思い煩いは、人に何になろうと嘆きました(22)。生涯悲しみ、労苦氏、夜も心休まらず、財産を得たものの、疾病、事故、死などで自分がその全てのものを得ることができず、子孫に残さなければならないからです。ところが子孫に残した時、その遺産が子孫に害になることもあります。これを悟った伝道者は「実に、日の下で骨折ったいっさいの労苦と思い煩いは、人に何になろう。」と言いました(22)。労苦し、骨を折って多くのものを得ても、その人生はむなしいだけです。
 では、伝道者はどのように生きることが知恵ある生活だと、言うのでしょうか。第一に、食べたり飲んだりして満足を見いだすことです(24)。子孫に残そうと、多くのものを得ようとすることより、今飲み食いして生きることができることを感謝し、喜ばなければなければなりません。第二に、労苦すること自体を喜ばなければなりません。何かを得て祝福を受けようとすることより、労苦すること自体を感謝し喜べば、それが祝福になります。職場で働くこと、学校で勉強すること、などそれ自体を喜ぶことが、祝福された人生であり、知恵ある生活です。
 ところがこのような生活は神様の御手によるものです。神様は、みこころにかなう人には、知恵と知識と喜びを与えられます。しかし罪人には、集め、たくわえる仕事を与えられ、そのをみこころにかなう者に渡されます(26a)。

祈り:主よ!私が多くのものを得なければ幸福になれないという愚かな考えを持つ者です。今神様の中で、食べて飲んで働けることを楽しむことができるように助けてください。

一言:食べて飲んで労苦することを喜ぶ生活


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