聖書別日ごとの糧   >>   伝道者の書[2007]

2007年 01月 29日 (月)

伝道者の書3:1-15
何事にも定まった時期があり

 この世の全てのものに時期があり、全ての目的が成し遂げられる時があります(1)。生まれるのに時があり、死ぬのに時があります。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時があります。・・・保つのに時があり、投げ捨てるのに時があります。・・・戦うのに時があり、和睦するのに時があります(2-8)。若い時があり、老いる時があります。試練の時があり、祝福の時があります。世の全てのものに神様の定められた時があります。それで私たちは自分の欲と意思を主張することより、神様の時に従わなければなりません。
 また、世の全てのものは永遠に存在するのではなく、時に従って過ぎ去ります。それで私たちは与えられた時を逃してはいけません。勉強する時には勉強をし、神様の訓練を受けなければならない時には、訓練を受けなければなりません。これを回避すると、後にさらに大きな苦難を受けるようになります。私たちは今どんな時に処せられていても、この過程を大切にし喜ばなければなりません。
 神様は私たちに永遠への思いを与えられました(11)。人は永遠を慕い求める思いがあるために、一時的で可変的な世のものに満足することができません。これが人と動物の違う点です。それでイエス・キリストの中で、神様の永遠のものを追及する者はたましいの満足と本当の安らぎを得ることができます。
 神様が行なわれるみわざを、人が見きわめることができません(11b)。それで未来は神様にゆだね、今与えられた生活を喜び、善を行なうことが最も大きな祝福です(12)。

祈り:主よ!私が世の全てのものに時があることを知り、時に従って生き、永遠なものを追求するように助けてください。

一言:時をよく分別せよ



2007年 01月 30日 (火)

伝道者の書3:16-22
神様の正義のさばき

Ⅰ.正しい人も悪者もさばく(16,17)
 世の中では、さばきの場にも不正があり、正義の場にも不正があります(16)。正義を行なわなければならない指導者たちが不正を行なう時、絶望し、憤り、彼らを憎んでしまいがちです。また自分も不正を行なってでも欲望のまま生きようとする誘惑を受けやすいです。
 しかし正しい人と悪者をさばかれる神様の正義のさばきがあります(17a)。全ての営みとすべてのわざには時があるように、神様の正義のさばきの時が必ずあります(17b)。それで私たちは神様のさばきを意識して、正義を行なわなければなりません。また不正な者に対するさばきを神様にゆだねなければなりません。
Ⅱ.人の子らの霊は上に上り(18-22)
 人は死んで土に返る点で、獣と何の違いもありません。このような点で、人が獣より優れているものがなく、人もまたむなしい存在です(19)。しかし人は獣とは違い、死んでそのたましいは神様に上って行きます(21)。それで人生がむなしいと叫んで、獣のように生きてはいけないのです。人を獣のような存在として見る時、神様が主となる人間の尊厳と偉大性を喪失し、神様の前で悪を行なうようになります。人は死んでも、その霊は神様のところに上って行きます。私たちはこれを知り、この地にいる間は神様を喜ばせる生活をしなければなりません。また生きている間、自分の仕事を楽しんで生きることが、祝福だと思わなければなりません(22)。

祈り:主よ!私が正義のさばきを行なわれる神様を恐れ敬い、正義に従って生きるように助けてください。

一言:神様の正義のさばきがある


<<(1)    前のページ(2)    3    次のページ(4)    (12)>>

聖書別日ごとの糧