聖書別日ごとの糧   >>   伝道者の書[2023]

2023年 05月 14日 (日)

伝道者の書3:1-15(12)
喜び楽しむほか何も良いことはない

 すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時があります。生まれるのに時があり、死ぬのに時があります。植えるのに時があり、引き抜くのに時があります。泣くのに時があり、笑うのに時があります。嘆くのに時があり、踊るのに時があります。保つのに時があり、投げ捨てるのに時があります。黙っているのに時があり、話すのに時があります。時をよく分別する必要があります。時は神様が定められたものです。私たちは、自分の時を主張することがあります。神様がご覧になる時は植える時なのに、自分では抜く時だとこだわることがあります。自分中心に時を考えてはいけません。神様の時を中心にして従うことが知恵です。

 神様がすべてのことを造られました。神様は人々に永遠を慕う心を与えてくださいました。しかし、神様がなさることの全てを見極める力は、人には与えられていません。私たちは、神様が望んでおられることのすべてを知りえません。その始まりと終わりをすべて見極めることができません。だからこそ、どのように生きるかが非常に大切です。人が生きている間に喜び楽しむ事のほかは、何も良いことはないといいます。英語のNIV聖書では善を行う(do good)も追記されています。善を行う人生は美しく、意味と価値のある人生です。良い実を結び、神様の祝福を受けます。したがって、この地に生きている間、私たちは喜び、善を求めましょう。そして、神様がなさるすべてのことは、永遠に変わりません。それらに何かをつけ加えることも、何かを取り去ることもできません。人ができることは何もありません。人はただ神様を恐れるだけです。神様がなさる時に従いましょう。



祈り:自分の計画通りにならないこと、思ったタイミングでないことに焦りや苛立ちを抱えてしまいます。そうではなく、神様の時を信じ、善を行う者としてください。

一言:神様の時



2023年 05月 15日 (月)

伝道者の書3:16-22(22a)
自分の仕事を楽しみなさい

 伝道者は、さばきの場に不正があるのを見ました。裁きは正義の象徴であるべきなのに、そこに不正があるのを見たら、どんなにつらいでしょう。不正で悔しい思いをした人は多いでしょう。正義が曲げられると、不正の力が拡大します。伝道者はこの時、正しい裁きを仰ぎ見ました。それは神様の裁きです。神様は正しい人も悪しき者もさばかれ、正しい人の願いを成し遂げられます。悪しき者が裁きはないと主張しても、裁きの時は必ず来ます。神様の裁きは、この世の裁きとは異なります。義が中心に固く立ち、不正は少しも居場所がありません。不正な世だからこそ、私たちはこのさばきの日を待ち望みます。

 伝道者は、人と獣には違いがないことを発見しました。人の人生に起きることが獣にも同じく起きます。同じように呼吸をし、獣が死ぬように人々も死にます。結局、人は獣よりまさっているものではありません。すべてのものは土のちりから出て、すべてのものは土のちりに帰ります。これが私たちの人生です。これを見て伝道者は悟ります。人は、自分のわざを楽しむよりほかに、何も良いことがありません。死ぬという事実を覚えて、現在与えられた自分の仕事に感謝して喜びを味わうことです。これが、神様が人に与えられた役割です。人々は自分の現在の仕事をおろそかにしやすいです。漠然とした未来に期待して、今の自分の仕事に満足しません。他人の仕事を羨ましく思い、自分の仕事に不満を持ちます。しかし、この地での人生は一度きりです。未来を待っているうちに、いつの間にか死の瞬間が来ます。だから、今の自分のわざを楽しみましょう。自分自身の今置かれた学校、職場、家庭の場所を楽しむべきです。神様が自分に置かれた今の使命も喜んで担いましょう。これこそ私たちの役割です。今の自分のわざを楽しまずに、将来の喜びもありません。



祈り:自分が置かれた場所に不満と不平が多い自分がいます。そのような思いに煩うことなく、どうか今の場所を喜んで担うように私を変えてください。

一言:楽しみなさい


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