聖書別日ごとの糧   >>   伝道者の書[2023]

2023年 05月 17日 (水)

伝道者の書5:1-7 (7)
ただ、神を恐れよ

心配が多いと夢が生じ(3)、夢が多ければむなしい事が多くなります(7)。例えば、経済的に難しくなると一獲千金を夢見て宝くじを買ったりします。伝道者は、ただ神様を恐れて生きるように勧めます(7)。神様を恐れて生きることは、神様の前で正直に生きることです。神様に結果を任せて生きることです。それでは、神様の御前でどのように行えばよいのでしょうか。

第一に、神の宮へ行く時は自分の足に気をつけるべきです(1)。祭司は聖所に入るとき、体を洗い、きよめてから入りました。至聖所には、さらに注意して血できれいにしてから入りました。これは神殿でのみ注意すべきことではなく、私たちの生活のあらゆるところでも、同じです。どこに踏み出すか、どの道に足を運ぶかを、神様を恐れながら決めなさいということです。そのためには、神様の御言葉を聞くことです(1)。神様の御言葉を聞くことは、神様の導きを受ける生活であり、神様の御前で生きる人生です。そうする時、心焦って生きることがなくなります(2)。また、試みや辱めを受けることが少なくなり、試行錯誤も減ります。雲をつかむような夢を見ることもなく、無駄な計画も立てません。

第二に、神に誓願を立てるときには、それを果たすのを遅らせてはなりません(4)。誓願は、神様との約束です。いと高き方と約束をしたのなら、必ず守らなければなりません。ある人は急いで誓願を立てますが、いざ果たそうとする時には、損害意識が生じて果たしません。過失だと言う人もいます(6)。これは神様を恐れていないからです。誓願を果たさないことは、自分の口で、即ち自分の身体で罪を犯すことです(6)。神様に助けを求める時に神様とある約束をし、その約束を守ってから、次の新しい約束をしたら、またそれを守る。このように神様との約束を守って生きていくなら、一段一段を忠実に上っていけます。神様を恐れて誓願を果たす人は、安全に人生の階段を上っていきます。



祈り:主よ、心配事や誘惑が多い世の中です。でも私が神様の御前で生きていることを自覚し、いつも素直に、正直に歩むことができるように助けてください。

一言:神様を恐れなさい



2023年 05月 18日 (木)

伝道者の書5:8-20 (19)
神様の賜物

楽しみはどこから来るのでしょうか。伝道者は、例えを使いながら、富は楽しみの源にはなれないと言います。銀(お金)を愛する人は、銀に満足しません。むしろ財産が多くなるほど支出も増えて、不安も大きくなります(10-12)。さらに富が害になります(13)。お金のために親を殺したり、親と子が互いに訴え合ったり、友人を裏切ったり、家庭を捨てたりします。また、災害によって富を失うなら、その後は暗く苦々しい日々となります。富があると、心配ばかりして、病気になり、怒ります(14-17)。あるおばあさんは、死ぬ瞬間まで自分の子ども達に財産を横取りされるのではないかと、心配し続けました。それで、「私の金だ!私の金だ!」と言いながら死にました。お金から楽しみを得ようとして、お金に縛られて、むしろ生活を楽しめなくなってしまう人がどれほど多いでしょうか。お金が仇となった、と泣き叫ぶ人がどれほど多いでしょうか。名誉、知識、外的条件なども同様です。

人にはそれぞれ、神によって与えられた人生の分け前があります。感謝しながらその分け前を受け取り、くよくよせずに喜びをもって過ごすのが良い、と伝道者は結論づけます(18)。しかし、富と豊かさを受けているのに、それらをただ抱くのみで、味わえずに死ぬ人がいます。労苦して自分の分け前を受けても、欲求不満にとらわれて生きることもあります。結局、神様が受けさせてくださるから受けることができ、楽しさも神様が楽しませてくださるから楽しむことができるのです。人生の喜びは、神様からの賜物です(19)。人生を楽しく生きることは、所有している量や数によってではなく、神様がくださることによって出来るのです。多く持っていても戦う不幸な人生があり、全てを失っても楽しむ人生があります。少なく受けても多く受けても、神様が喜びをくださるのなら、人生を楽しく生きることができます。所有が楽しみの源ではなく、神様が楽しみの源です(20)。



祈り:主よ、私の人生において労苦や困難は数多くありますが、その中で私が良く生きられるようにあらゆる恵みをこれからも与えてください。

一言:楽しみは賜物


<<(1)    前のページ(4)    5    次のページ(6)    (12)>>

聖書別日ごとの糧