聖書別日ごとの糧   >>   伝道者の書[2023]

2023年 05月 20日 (土)

伝道者の書7:1-14 (2)
終わりを心に留める

人生には終わりがあります。本文は「終わりを考えながらどのように生きるべきか」を教えてくれます。死ぬと名前だけが残ります。したがって、名声は良い香油にまさります(1)。喪中の家に行くほうが、祝宴の家に行くよりも優れている理由は、自分自身の終わりを考えるようになるからです(2)。生きている人はこれを心に留めて忘れてはいけません。悲しみは、実際の姿を直視させ、笑いは、覆い隠して忘れさせます。当然、悲しみのほうが有益です(3)。知恵者とは、このように人生の終わりを見る心で生きている人です(4)。愚かな者は、笑いを追いかけて生きようとしますが、その笑い声は「鍋の下のいばらがはじける音に似て」います。 当時、いばらは簡便な燃料として用いられていました。そのように愚かな者の笑いも、騒々しくはあっても、一瞬のごまかしでしかありません(4,6)。今日が終わりだと思って生きている知恵者の叱責を聞くことは、愚かな者が歌を聞かせるようにちやほやしてくるよりもましです(5)。どんな物事も、初めはどのような結末になるのか分かりません。終わってみて初めてそのことの良し悪しが分かります(8)。

現在を直視せず、変えることのできない過去にいくら想いを馳せたとしても、目の前にある結果が変わることはありません。それは愚かなことです(10)。知恵、すなわち終わりを考えて生きることが美しく、益となるのです(11)。知恵が知恵のある者を保護します(12)。神様は喜ぶように栄える日をくださいますし、自分の歩んできた道を顧みるように苦しい日をくださることもあります(14)。私たちは、自分の将来がどうなるかはよく分かりませんが、終わりを考えて真剣に一歩一歩最善を尽くさなければなりません。終わりを心に留めて生きている人が知恵のある人です。



祈り:主よ、私の人生にも終わりがあることを忘れ、行き当たりばったりな生き方をしてきました。今からは、御言葉の知恵に従って、良い終わりに向かって賢く歩むように助けて下さい。

一言:終わりを考えなさい



2023年 07月 01日 (土)

伝道者の書7:15-29(18)
中庸の知恵

 15-18節は、中庸(節度)の知恵について述べています 。中庸とは過度に行うことも,行わないこともなく、適切なバランスを取ることを意味します。しかし、ここでの中庸とは、自己義認や悪行を行うことを警戒するためのものです。自分の義を追求し、自慢することは愚かであり、意図的な悪行も許されません。「~すぎる」(16,17)という言葉は無節制な行為を避けるように勧告するものです。人間的な判断基準から始まった行為は、自己義認や悪行のように左か右に偏るしかないので、ただ神様を恐れる道を行くべきです。神様を恐れる者は、自己義認や悪行の道から解放されます。これが、聖書が教える中庸の知恵です。

19-29節は、真の知恵の能力について述べています。知恵を持った者は、権力者たちよりも力があります。賢い者は、人が語る言葉にいちいち心を留めてはなりません。また、知恵を得るためには、自分で賢くなろうとしてはいけません。知恵を見極める道は遠く、非常に深く、困難です。伝道者ソロモンは、心をこめて知恵と道理を探し求め、女の誘惑が死よりも苦々しいことに気づきました。従って、誘惑から逃れるため、神様を恐れる必要があると示唆しています。伝道者は、知恵に関して、いくつかの道理を見いだしました。神様は人をご自身の形に似せて正しく造られたものの、人間は愚かな理屈を求めて神に罪を犯し、その正しさが損なわれたことを悟りました。真の知恵を持つためには、神様を恐れることが重要だということです。



祈り:主よ、私たちがいかに盲目で、誘惑に陥りやすいかを悟らせてくださり、感謝いたします。主が開いてくださった道を歩むように助けてください。私たちが直面するすべてのことを御心のままに益として用いてください。

一言:神様を恐れます


<<(1)    前のページ(6)    7    次のページ(8)    (12)>>

聖書別日ごとの糧