聖書別日ごとの糧   >>   イザヤ書[2022]

2022年 10月 09日 (日)

イザヤ書46:1-13(5)
わたしをだれになぞらえて比べ

 キュロスによってバビロンが滅びると、バビロンの偶像の神々もひざまずくようになりました。バビロンの神々は、バビロンの民を守ることができないただの偶像にすぎません。ベルとネボは、バビロンの神です。イザヤは「ベルはひざまずき、ネボはかがむ」と歌います。そして、これらの偶像が民の重荷を負うのではなく、むしろ民の重荷となる、という皮肉を込めて「あなたがたの荷物は…重荷となって運ばれる(1)」と言っています。偶像の神は、自分では動くこともできないただの金属と石の塊にすぎません。反対に、主なる神様は、ご自分の民を、胎内にいる時から担い、彼らが年をとっても、白髪になっても、同じように運び、背負い、救い出すことのできる、生きている方です。また、咎重きご自分の民を抱き、背負い、運んでくださる愛の神様です。

 神様は背く者らに、「遠い大昔のことを思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。(9)」と叫ばれます。神様は終わりの事を初めから告げるお方です。神様のはかりごと、望むことはすべて成就します。神様ははかりごとの成就のため、東から猛禽を、遠い地から人を呼んでそれを行います。イスラエルの救い、即ち、バビロン捕囚の地からの帰還で滅びたイスラエルの再建をなされます。神の都、シオンの山、廃墟と化したエルサレムは回復されます。イスラエルが強情で、正義から遠ざかっていても、神様が勝利を近づけ、救いを遅れることなく成し遂げられます。神様はシオンに救いを与え、イスラエルに神様の光栄を与えます。世の何ものも神様の救いと力と愛になぞらえて比べることはできません。



祈り:咎重き者である私にも望みがある理由は何でしょうか。それは、主よ、あなたが私を運び、背負い、救い出して下さったからです。

一言:あなたのような神は他にはいません


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