聖書別日ごとの糧   >>   エレミヤ書[2024]

2024年 04月 22日 (月)

エレミヤ書46:1-26(25)
ファラオとエジプトは罰せられる

46章から51章は、諸国に対する神様の裁きと主の民の救いに関する預言となっています。神様は、ユダの滅亡を招いた諸国を裁いて復讐されます。エジプトを皮切りに次々と諸国に対する裁きが下されます。こうしてユダの夢、即ちエジプトに救いを求めるという夢は破れてしまいます。では、当時の周辺国の情勢は、一体どうなっていたのでしょうか。アッシリア帝国は、メディアとバビロンの連合軍によって敗北しました。そのアッシリアを助けるために、エジプトは遠征します。この時、ユダの王ヨシヤはエジプトと戦って死にました。後に、バビロンのネブカドネツァル王はエジプトの王ファラオ・ネコの軍勢をカルケミシュの戦いで打ち破りました(2-12)。エジプトの勇士たちは、大盾と騎兵、かぶとと槍とよろいをつけて、ナイル川のようにわき上がって走りましたが、彼らはユーフラテス川のほとりで、主にささげられるいけにえのように沢山の血を流して死ぬことになります。その日は、神様がユダの仇に報復する復讐の日となります。

13-26節では、バビロンがエジプトを打つことについて語られています。エジプトの主要都市ミグドル、メンフィス、タフパンヘスが剣に食い尽くされます。エジプトがこのように打ち負かされたのは、神様が彼らを追い払われたからです。エジプトの首都メンフィスは荒れ果て、廃墟となって住む人もなくなります。エジプトはかわいらしい雌の子牛のようですが、北からバビロンの軍勢がアブのように襲って来るので、太刀打ちできず、撃滅されます。いなごのように数えきれないほどの多くの軍勢が、木こりのように斧を持って切り倒しに来る時、エジプトは彼らの手に渡されます。神様はテーベの神であるアモンと、ファラオとエジプト、神々と王たちを罰せられます。しかし、後には回復してくださいます(イザヤ19:19-25)。ユダはエジプトに拠り頼みましたが、神様は彼らをバビロンの手に渡して罰せられます。脆い存在である人間は、頼れる対象にはなれません。



祈り:主よ、自分が今、何に頼っているかを考えさせられます。自分の頼るべきものを間違わないように、霊的な目を与えて下さい。

一言:超大国も神様のさばきを受ける



2024年 04月 23日 (火)

エレミヤ書46:27-47:7(27)
民との愛の関係を保たれる神さま

神様はご自分の民に愛の言葉を語られました。彼らは厳しい懲らしめを経験することになりますが、落胆する必要はありませんでした。神様は彼らを自分たちの土地に必ず連れ戻し、そこで平穏で安らかに生きることができると約束されました。どうしたらこのような事が可能になるのでしょうか。全能の神様、主が彼らと共におられるので可能です。神様は彼らをさばきによって懲らしめますが、それを通して彼らをきよめ、ご自分の民として整えられるのです。神様のご自分の民に対する愛は、決して消え失せることはありません。

 エジプトのファラオがペリシテのガザを打つ前に、ペリシテについて預言がされました。北から水が上って来て、その地のすべて、町と住民に溢れかかり、人々は泣き叫びます。荒馬のひづめの音、戦車の響き、車輪の騒音のため、父たちは我が子を顧みる気力さえ失ってしまいます。この日はペリシテ人が破滅させられる日です。経済大国として国力を誇っていたフェニキアのツロとシドンも彼らを助けることができず、ペリシテ人の出身地であるカフトルも断ち滅ぼされます。その日、ペリシテのガザとアシュケロンの人々は、苦しみのあまり頭を剃り、自分たちの体を傷つけます。というのは、裁かれる主の剣から彼らを助ける者はこの世に誰もいないからです。主の剣が主の命令を受け、静かに休むことなく彼らを罰します。神様は忍耐深く慈しみ深いですが、いったん裁きの剣が抜き放たれると、生き残れる人は一人もいません。まだ救われるチャンスがあるうちに主の前にへりくだり、悔い改めて主に立ち返ることが生きる道です。



祈り:主よ、あなたの民である私と愛の関係を築いてくださり感謝いたします。あなたからの訓練を受けている時にも、私はあなたを信頼します。

一言:神さまはご自分の民を愛されています


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