聖書別日ごとの糧   >>   哀歌[2005]

2005年 01月 26日 (水)

哀歌1:1-22
涙の預言者エレミヤ

Ⅰ.人の群がっていたこの町は、ひとり寂しくすわっている。(1-11)
 エルサレムは本来聖なる都として住民が多く、国々の中でも大きく女王のようでした。しかし今はやもめのように、みつぎものをささげる悲しい身の上となりました。彼らは多くの患難と苦難によって、捕虜として連れて行かれ、異国に住んで平安を得ることができませんでした。シオンのツロは物悲しく、町の門は荒れ果て、処女シオンのすべての栄光は離れて行きました。聖所は異邦人たちによって踏み荒らされました(10)。これはエルサレムが罪に罪を重ねたので、神様が苦難をくだされたのです。
Ⅱ.私は主の命令に逆らった(12-22)
 エレミヤはエルサレムが荒れ果てた原因は彼らの多くの罪であると思いました。しかし彼はすぐに自分の罪を発見し、これを告白しています。「私のそむきの罪のくびきは重く、主の御手で、私の首に結びつけられた。」(14)。「主は正義を行なわれる。しかし、私は主の命令に逆らった。」(18)。
「主よ。ご覧ください。私は苦しみ、私のはらわたは煮え返り、私の心は私のうちで転倒しています。私が逆らい続けたからです。」(20)。彼は自分の罪によって悲しみました。
 すべてのあやまちの原因を外部から探すことより、自分から探し出すことが真のクリスチャンの姿勢です。

祈り:主よ!私にエレミヤのように砕かれた牧者の心情と、すべてのあやまちの原因を自分から探す謙遜をください。

一言:うらみごとより、真実な悔い改めを


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