聖書別日ごとの糧   >>   哀歌[2005]

2005年 01月 27日 (木)

哀歌3:1-39
それゆえ、私は待ち望む。

Ⅰ.彼の悲しみ(1-18)
 彼は主の怒りのみちを受けています。彼の肉と皮はすり減り、暗い所に住み、まるで死んだ者のようになりました。彼が助けを求めて叫んでも、主はその祈りを聞き入れませんでした。彼は一日中民の物笑いとなりました。彼は、自ら神様に対する望みは消えうせたと思いました。
 彼は人類の罪を背負って、十字架で苦難を受けられるキリストのように、民全体の罪を体中に背負い、悲しみと苦難を受けていました。彼は苦難の預言者でした。
Ⅱ.彼の望み(19-39)
 彼は、自分が受けている苦しみと災い、すなわち苦よもぎと苦味だけを覚え、心が落胆しました。しかし深く考えてみれば、むしろ望みがありました。これはエルサレムが殲滅しなかったのも神様の変わらない慈しみと憐れみのためであることを悟ったからです。彼は朝ごとに新しく主の恵みとあわれみを覚え、力を得ました。彼は、主が人々に苦しみと悩みを与えるのは本心からではなく、結局は豊かな慈しみで、憐れんでくださることを信じました。彼は主の救いを黙って待つようになりました(26)。現実を見れば悲しく辛いですが、神様を仰ぎ見れば、望みが満ち溢れます。

祈り:主よ!主だけが私の望みであり、救いです。私が苦難の中で、主を仰ぎ見ます。

一言:主の救いを黙って待つ


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