聖書別日ごとの糧   >>   哀歌[2012]

2012年 06月 20日 (水)

哀歌3:1-39
私は待ち望む

 同族イスラエルが受ける苦しみを考える時、エレミヤは悲しみによって目がつぶれました。彼のはらわたは煮え返り、彼の肝は地に注ぎ出されるような苦しみを味わいました(2:11)。彼は主の激しい怒りのむちによって、自分が苦しみを受けていました。彼は肉と皮がすり減り、暗い所に住む、死んだ者のようになりました。叫んで祈っても、神様が祈りを聞き入れてくれない苦しみを味わいました。一日中、民たちのあざけりの歌になりました。彼は、神様に対する望みが断ち切られたと思いました。彼は民たちの苦しみを自分の苦しみとして受け入れ、ひどく苦しみを受けていました。イエス・キリストもこのように、私たちと共に苦しみを受けてくださる方です(ロマ8:26)。
 エレミヤは今、自分が受けている苦しみとわざわいを覚え、落胆しました。しかし深く考えて見ると、むしろ望みがありました。エルサレムがまだ断ち滅ぼされていない理由を悟ったからです。それは、彼らに向けられた神様の尽きることのない恵みと憐れみでした。彼は憐れみの神様、真実の強い神様を朝ごとに仰ぎ見て、力を受けました。主が自分の受ける分であることを悟り、望みを新たにしました。待つ者に善を施してくださる方であることを信じるようになったからです。苦しみの時に、神様の救いを静かに待つのが良いことを、知るようになりました。若い時に、苦しみのくびきを負うのが良いことも、知りました。私たちも、絶望と落胆した時に神様を仰ぎ見るなら、望みを得ます。苦難に打ち勝つ力を得ます。

祈り:主よ!私が辛い時、落胆することより、主を仰ぎ見て力を得るように助けてください。

一言:静かに主の救いを待とう


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