2014年 09月 17日 (水)
わたしがわたしの羊を飼い
1.自分だけ食べる牧者(1-6)
神様は、その民を顧みる牧者として、指導者たちをお立てになりました。彼らは、当然、神様の羊の群れを養って、食べさせなければなりませんでした。しかし、彼らは肥えた羊をほふり、脂肪を食べ、羊の毛を身にまといますが、羊の群れを養いませんでした。弱った羊を強めず、病気のものをいやしませんでした。傷ついたものを包まず、失われたものを捜しませんでした。牧者がいないので、羊の群れは散らされ、野の獣のえじきとなりました。羊たちがこれほどまでにさまよっても、彼らは捜しませんでした。このような悪い牧者たちを、神様は厳しくさばかれます。
2.真の牧者である神様(7-16)
神様は、自分だけ満たす牧者たちから羊を捜し求められます。牧者職をはく奪し、二度と、羊で自分の欲望を満たすことができなくされました。何よりも、神様がみずから羊の群れの牧者となり、散らされた羊たちを捜し出されます。牧者である神様は、全ての民の中から導き出し、良い牧場で食べさせます。また、失われた者を捜し、傷ついた者を包み、病んだ者を癒されます。神様が牧者なので、私たちには乏しいことがありません。牧者である神様は、私たちを緑の牧場、澄んだ水辺に導かれ、私たちの健康を取り戻してくださいます。羊である私たちがすることは、牧者である神様の御声を聞いて、ついて行くことです。
祈り:主よ!神様が私の牧者であることに感謝します。私は、生涯牧者の声を聞く良い羊になります。また、牧者である主のように、羊たちをよく食べさせる良い牧者になるように、助けてください。
一言:良い牧者である神様
2014年 09月 18日 (木)
ひとりの牧者を起こす
1.肥えた羊とやせた羊との間をさばく神様(17-22)
神様は悪い牧者だけをさばかれるのではなく、悪い羊をもさばかれます。羊の中に、自分だけが食べて、他の羊には食べさせない悪い羊がいます。自分は牧者から良い草を食べて肥え、ほかのものは足で踏みにじります。自分は澄んだ水を飲み、残った水は足で濁らせます。結局、ほかの羊は草も食べられず、水も飲めずに、やせて行きました。神様はやせた羊を救い、二度とえじきとならないようにされます。そして、ただ自分のことだけを考える利己的な人をさばかれます。神様は世界万民の神様です。
2.彼らを牧するひとりの牧者を起こされる神様(23-31)
神様はやせた羊たちのために、ひとりの牧者を起こされ、彼らを食べさせてくださいます。その牧者は、すなわち、神様のしもべダビデです。これは、後にダビデの子孫として来られるキリストを指しています。キリストは、この地で苦しんでいる羊たちを食べさせ、彼らの良い牧者になります。神様は彼らの神様になり、キリストは彼らの中で君主となり、
悪い敵を征服し、愛と平和で治めてくださいます。キリストの統治の下で、やせた羊たちは平安を受け、実を結び、豊かになります。彼らは二度と、異邦人のえじきにはなりません。彼らは二度と辱めを受けません。良い牧者であるイエス様の中で、私たちは救いを得て、豊かないのちの草を得ます(ヨハ10:9)。
祈り:主よ!やせた私の人生に、牧者イエス様を遣わしてくださり、感謝します。私が、イエス様の中で、豊かないのちを得るように助けてください。
一言:イエス様は私の良い牧者
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