聖書別日ごとの糧   >>   アモス書[2019]

2019年 08月 20日 (火)

アモス書5:1-13(6)
主を求めて生きよ

 アモスは、神様の裁きによってイスラエルが滅亡することを知り、哀歌を唱えました。「おとめイスラエルは倒れて、二度と起き上がれない」。イスラエルは若さを誇るおとめのようでした。経済的な豊かさを誇り、軍事力を誇りました。神様を畏れることを知らない人は、自分の富と権力と学識を誇ります。しかし、神様が裁きの手を下されると、彼らが誇るものは何の役にも立たなくなります。千人を出征させていた町は、百人しか残らないまでに滅びてしまいます。それでは、イスラエルはどうすれば生きることができますか。神様は言われます。「主を求めて生きよ。」べテル、ギルガル、ベエル・シェバに行って形式的な礼拝を捧げることで、生きる道が開かれるのではありません。神様を求めるべきです。神様がおられないベテル、ギルガル、ベエル・シェバは何の益にもなりません。神様を畏れ、御前で心から悔い改め、御言葉に聞き従わなければなりません。さもないと、いかなる宗教生活も私たちを助けることはできません。真実に罪を悔い改めて、主のもとに帰って、神様だけに依り頼んで生きるべきです。まさに、これこそが主を求めることです。これこそが生きる道です。イスラエルは公義を苦よもぎに変え、正義を地に投げ捨ててしまいました。また、門で戒めを与える者を憎み、正しく語る者を嫌がりました。貧しい者を踏みつけて自分の腹を肥やしました。正しい者を嫌がり、裁判官に賄賂を渡して貧しい者を押しのけました。こういった罪の問題を棚に上げたまま執り行なわれる礼拝を、神様は喜ばれるのでしょうか。生きるためには、形ばかりの宗教生活を止めて、主を求めなければなりません。そうすれば、生きます。


適用:生きるためには

一言:主を求めよ



2019年 08月 21日 (水)

アモス書5:14-27(24)
正義を流れさせよ

 イスラエルが生きる道は何ですか。主を求めることです。悪を憎み、善を愛し、正義を建て直すことです(14,15)。しかし、残念ながら彼らのうちに、そのようにして生きようとする姿は見当たりませんでした。それなのに、彼らは主の日を待ち望んでいました。果たしてその日はどんな日となるのでしょうか。光ではないやみであって、輝きではない暗やみの日となります。その日の災いは、避けようがありません。まるで獅子の前を逃げて熊に会い、壁に手を触れると蛇がかみつくような災いに見舞われることになります。
 イスラエルの罪は第一に、形式的に主に仕えたことです。神様は祭りを憎み、退けられます。いけにえも喜ばれず、かおりも、かぎたくないと言われます。賛美の歌も聞きたくないと言われます。彼らの信仰は形ばかりで、混合宗教でした。彼らはサクテとキウンなどの星の神を拝んでいました。こういった偶像を拝んでいる彼らのいけにえを、果たして神様は喜ばれるのでしょうか。第二に、公義と正義を投げ捨てたことです。彼らは罪と欲のため、正しいことを行いませんでした。正しく行うとは、弱い人、貧しい人たちに公義と正義が川のように流れるようにすることです。ところが、彼らは金と引き換えに正しい者を売り、一足のくつのために貧しい者を売りました。はかりを欺きました。貧しい者の着物を奪い取り、罰金で取り立てたぶどう酒を飲んで楽しみました。やもめとみなしごを虐げました。正しい裁きを下さなければならない人たちが、自分の腹を満たすために正義を捨てました。そんな彼らにどのような主の日が来るのでしょうか。光り輝く日ではありません。暗やみの裁きの日が来ます。彼らはダマスコのかなたへ捕らえ移される刑罰を受けるようになります(27)。


適用:公義と正義を行っていますか

一言:公義を水のように、正義を川のように


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