聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2015]

2015年 07月 26日 (日)

マタイ15:1-20
人を汚すもの

 律法学者とパリサイ人たちは、手と足をよく洗いました。それは、宗教的な慣習でした。ところが、イエス様の弟子たちは手を洗わずに、食事をしていました。彼らはこの問題で、イエス様を問いただしました。「なぜ昔の先祖たちの言い伝えを犯すのですか。」イエス様は弟子たちを弁護されました。「なぜ、あなたがたも、自分たちの言い伝えのために神の戒めを犯すのですか。」神様は、「あなたの父と母を敬え。」と言われ、「父や母をののしる者は、死刑に処せられる。」と定められました。ところが、彼らは、「神様に全てささげました。」と言って、父と母には何も上げませんでした。だからと言って、彼らが神様に全てのものをささげたというわけではありませんでした。彼らは、神様にも仕えず、父と母にも仕えず、楽に生きました。彼らは、口先では神様を敬いましたが、心は神様から遠ざかっていて、御言葉よりも、人々が作った言い伝えをもっと大切に思いました。彼らは偽善者でした。
 人を汚すものは、口に入る食物ではありません。偽善的な行ないが人を汚します。イエス様は言われました。「口から出るもの、これが人を汚します。」口から出ることばは、心の表現です。心の中からわき上がる悪い考え、殺人と淫乱と盗みと偽りとののしりは、結局は、口から出て、それが人を汚します。それで、人がきよくなるためには、手を洗うのではなく、心を洗わなければなりません。主の御言葉で、心を洗うことができます。

祈り:神様!私がうわべだけ、きれいにするのではなく、心をきよめられるように、助けてください。

一言:心をきれいに



2015年 07月 27日 (月)

マタイ15:21-28
あなたの信仰はりっぱです

 イエス様が、ツロとシドンの地方に行かれた時、一人のカナン人の女がイエス様の所に行き、叫び声を上げました。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」悪霊に取りつかれた娘を持つ母親の心は、張り裂けんばかりの痛みがありました。イエス様は、このような人の苦しみを見逃すような方ではありませんでした。ところが、イエス様は、次のように言われました。「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません。」しかし、女は、イエス様の御前にひれ伏して、願いました。「主よ。私をお助けください。」イエス様は女を見て、犬の扱いをしました。「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」その時、彼女は感情的になり、イエス様に反発し、怒りがこみ上げるしかありませんでした。
 しかし、そのようにすれば、娘を癒すことはできません。女は娘を助けるために、自尊心を捨て、さらに謙遜に、イエス様の恵みを求めました。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」(27)。女は、本当に知恵がありました。彼女は、自分が犬のような存在であってもよいので、パンくずのような恵みでもいただきたい、と願いました。このような知恵は、信仰から出て来ます。イエス様は女をご覧になり、その信仰を認められました。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘は直りました。私たちが、イエス様から恵みを受けるためには、カナン人の女のような母親の心と、謙遜と、知恵がなければなりません。この全てのものは、イエス様に対する信仰から出て来ます。

祈り:神様!私に、心情と知恵と信仰がある人になるように、助けてください。

一言:パンくずのような信仰でも



2015年 07月 28日 (火)

マタイ15:29-39
かわいそうに思う

 イエス様はガリラヤ湖の岸に行き、山に登って座っておられました。大ぜいの人の群れが、歩けない者、目の見えない者、そして話しができない者、そのほかたくさんの病人を連れて来ました。イエス様は彼らを憐れまれ、直されました。ものを言えない者が話し、四肢麻痺の者が直り、見えない者が見える御業が起こりました。人々はこれを見て、驚き、神様をあがめました。いつの間にか、三日が過ぎましたが、群衆は家に帰ろうとしませんでした。イエス様の側から見ると、それはひどく負担になることでした。しかし、その時、イエス様はどのようにされたのでしょうか。
 イエス様は弟子たちを呼び寄せて言われました。「かわいそうに、この群衆はもう三日間もわたしといっしょにいて、食べる物を持っていないのです。彼らを空腹のままで帰らせたくありません。途中で動けなくなるといけないから。」(32)。しかし、ここはへんぴな所で、弟子たちが持っている物は何もありませんでした。弟子たちはイエス様に尋ねました。「こんなに大ぜいの人に、十分食べさせるほどたくさんのパンが、どこから手にはいるでしょう。」イエス様は弟子たちに尋ねられました。「どれくらいパンがありますか。」彼らには、七つのパンと小さな魚が少しありました。イエス様は、それで、群衆をみな食べさせられました。食べて残ったパン切れを集めて見ると、七つのかごいっぱいにありました。イエス様は弟子たちが、もう一度、牧者の心情を持つことを、願われました。

祈り:主よ!私が牧者の心情を学び、この時代の憐れな人々を食べさす者になるように、助けてください。

一言:かわいそうに思う心


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