聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2015]

2015年 07月 29日 (水)

マタイ16:1-12
パン種に注意しなさい

 パリサイ人とサドカイ人たちは、誰よりも聖書を知っていて、聖書を研究して教える聖書の先生でした。しかし、彼らは、聖書が証しするメシヤがイエス様であることを、知りませんでした。彼らはイエス様に、「天からのしるしを見せてください。」と頼みました。彼らがしるしを求めるのは、イエス様を信じるためではなく、ためすためでした。イエス様は、すでに多くのしるしを見せてくださいましたが、彼らはそれを信じませんでした。彼らは、イエス様が行なわれるわざを見ながらも、イエス様がキリストであることを、悟れませんでした。それは、貪欲に目がくらみ、霊的な世界を分別することができないからです。イエス様は、悪い、淫乱の時代だと言われました。
 パリサイ人たちは、うわべは敬虔に見えましたが、中は違いました。サドカイ人たちは、現世的であり、復活も信じませんでした。それで、彼らは世の栄光だけを求めていました。彼らは、宗教指導者として、民たちに悪影響を及ぼしていました。イエス様の弟子たちも、彼らに見習って、自分も知らない間に、形式的な信仰生活をしながら、世の栄光を求める人になってしまいがちです。それで、イエス様は弟子たちに言われました。「パリサイ人やサドカイ人たちのパン種には注意して気をつけなさい。」私たちは、キリスト教の人本主義に厳しく警戒しなければならず、世俗的なクリスチャンにならないように、目を覚ましていなければなりません。純粋にイエス様を愛し、イエス様の教えに従って、生きる人々にならなければなりません。

祈り:神様!私が、世のパン種の影響を受けずに、イエス様の御言葉だけを愛する人になるように、助けてください。

一言:形式的な信仰生活を捨てよう



2015年 07月 30日 (木)

マタイ16:13-20
生ける神の御子キリスト

 イエス様の一行が、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれた時、イエス様は弟子たちに二つの質問をされました。イエス様がどんな方か知ることは、いのちに関わる大切なことです。
 第一に、「人々は人の子をだれだと言っていますか。」(13)。バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もいました。またほかの人たちはエレミヤだとか、預言者のひとりだとも言っています。群衆はイエス様と共にいて、イエス様の不思議なわざを体験しました。しかし、彼らは、断片的にしか、イエス様のことを理解することができませんでした。今日の人々も、「イエス様はすばらしい方だ」と思う人は多くいます。しかし、いくら聖書を読んでも、イエス様のことを正確には、理解できないと思います。
 第二に、「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」(15)。これは、弟子たちがイエス様のことをどのように思っているのかを、問うものでした。その時、ペテロは答えて言いました。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」神様が約束された救い主です。罪と死から救ってくださる方です。ペテロがこのように告白できたのは、聖霊の力によるものです。天におられる父なる神様が、明らかに示してくださいました。イエス様は、ペテロの信仰告白に基づいて、岩の上に教会をお建てになりました。ハデスの門もそれには打ち勝てません。教会は、一人の信仰告白の上に建てられたものであり、信仰告白を行なう者たちが集まる所です。
 この時間も、イエス様は、一人一人に尋ねられます。「あなたは、わたしをだれだといいますか。」

祈り:主よ!この時間、私に聖霊を注いでくださり、イエス様こそ、約束されたメシヤであることを悟り、告白できるように助けてください。

一言:あなたは生ける神の御子キリスト



2015年 07月 31日 (金)

マタイ16:21-28
弟子の道

 イエス様は、ご自分がエルサレムに行って、宗教指導者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められました。するとペテロは、イエス様に、「そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」といさみ始めました。イエス様はペテロに「下がれ。サタン。」と言われました。
 そして、弟子として歩むべき道を教え始められました。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(24)。イエス様の弟子は、イエス様のたどられた足跡をたどる生活をします。尊いいのちを救うために、人々から無視され、疎外され、捨てられる痛みが伴います。神様の栄光のために、自分の栄光を放棄する覚悟が伴います。また、自分が背負うべき十字架があります。
 ところが、自分のいのちを救おうとする者はそれを失います。反面、イエス様のためにいのちを失う者は、それを見いだします。イエス様と共に十字架につけられる時、イエス様と共によみがえるようになります。イエス様が栄光ある御姿でこの地に来られる時、私たちの行ないに応じて報いてくださいます。それで、私たちは、イエス様が来られるその日を待ち望みながら、罪と咎によって死んで行くたましいを生かす御業に励まなければなりません。

祈り:主よ!今まで、自分の栄光のために生きて来たことをお赦しください。これからは、神様の栄光のために、たましいを生かす御業に力を入れます。

一言:自分を捨て、十字架を負う生活


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