聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2015]

2015年 09月 18日 (金)

マタイ17:1-13
彼の言うことを聞きなさい

 イエス様が十字架で死なれ、よみがえるという御言葉は、弟子たちにとって、大きな衝撃となりました。六日たって後、イエス様は、ペテロとヤコブとヨハネを連れて、高い山に導いて行かれました。山に登られたイエス様は、彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなりました。イエス様は弟子たちに、本来ご自分の栄光ある御姿を見せてくださいました。その御姿は、将来よみがえられるイエス様の栄光ある御姿でもありました。イエス様は、弟子たちが栄光ある復活を受け入れられるように、このような御姿を見せてくださいました。なぜなら、将来、来る天の御国の栄光に対する信仰と望みがあれば、今の苦難に、喜びで打ち勝つことができるからです。
 ところが、ペテロはイエス様の栄光ある御姿を見て、イエス様に、天幕を三つ作って、その山に住みましょうと、言いました。山に降りた所で、だいたいが、問題のある多くの人々、病人たち、口実を探すパリサイ人や律法主義者たちばかりなので、降りたくないと思いました。ペテロは、この地で、天の御国の栄光を受けて、生きたいと願っていました。十字架は背負いたくなく、栄光だけを受けたいという、人間の本性がそのまま現れました。その時、雲の中から、神様の御声が聞こえて来ました。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」(5)。神様は、どれだけじっとしていられずに、このように話されたのでしょうか。私たちは、負担になる御言葉であっても、イエス様の御言葉に耳を傾け、そのまま受け入れなければなりません。

祈り:神様!十字架と復活に対する御言葉が負担になっても、私が受け入れ、聞き従う人になるようにしてください。

一言:イエス様の言葉を聞きなさい



2015年 09月 19日 (土)

マタイ17:14-27
からし種ほどの信仰

 イエス様が山から降りて来られた時、ひとりの人がイエス様のところに来て、切なる思いで、苦しんでいる息子を助けてください、と頼みました。なぜなら、弟子たちのところに連れて行きましたが、彼らは直すことができなかったからです。この言葉を聞いたイエス様は嘆かれました。「ああ、不信仰な、曲った今の世だ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。」イエス様は、弟子たちが信仰の力を失って、能力のないしもべになった時、嘆かれます。イエス様は、子どもを捕えている悪霊を叱って、直されました。これを見た弟子たちは、そっとイエス様に尋ねました。「なぜ、私たちには悪霊を追い出せなかったのですか。」イエス様は、その理由について、このように話されました。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。」(20)。
 この時代は、悪霊に取りつかれた子どものように、泣き叫ぶ人々が多くいます。私たちが、どのようにして、このような人々を直すことができるのでしょうか。からし種ほどの信仰があればよいのです。小さなものですが、純粋な信仰を持っていれば、神様は、その信仰の通りに働いてくださいます。私たちは、自分の経験や能力に頼るのではなく、神様に対する純粋な信仰を持たなければなりません。信仰とは、「私にはできないが、神様はできる」と信じることです。私たちは、一人も満足に助けることができませんが、神様には不可能なことがありません。私たちが、この時代の牧者として生きるのは、この信仰のゆえです。

祈り:神様!私にからし種ほどの信仰をくださり、この時代に仕える牧者にしてください。

一言:からし種ほどの信仰


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