2015年 11月 18日 (水)
一番偉大な者
イエス様は、群衆と弟子たちに言われました。「律法学者、パリサイ人たちは、モーセの座を占めています。ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行ない、守りなさい。」イエス様は、宗教指導者たちが、神様がお立てになったしもべであること、を認められました。それで、彼らの教えは守るように、と言われました。しかし、「彼らの行ないをまねてはいけない」と戒められました。彼らは、言うことは言うが、実行しなかったからです。
彼らは、群衆にくびきを負わせましたが、自分はそれに指一本さわろうとはしませんでした。彼らはまた、人に見せるために、経札の幅を広くしたり、衣のふさを長くしたりしました。人々から尊敬されることを好み、宴会の上座や会堂の上席につこうとしました。広場であいさつされたり、人から先生と呼ばれたりすることが好きでした。世の多くの人々は、周りから認められたい願いがあると思います。そのような人が偉大だと考えます。
しかし、イエス様は言われました。「あなたがたのうちの一番偉大な者は、あなたがたに仕える人でなければなりません。」(11)。本当に偉大な者は、どれだけ多くの人に仕えられるかではなく、どれだけ多くの人に仕えているか、です。だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。
祈り:主よ!私がイエス様を見習い、多くの人に仕える者になります。
一言:本当に偉大な者
2015年 11月 19日 (木)
忌まわしいものだ
律法学者たちは、神様からの律法を守り、民たちにも守るように、と教えます。ところが、本文に出て来る律法学者たちは違いました。イエス様は、当時の律法学者たちを指して、偽善の律法学者、パリサイ人たちと言われました。イスラエルの民たちは、天の御国に入ることを切に願い求めていました。ところが、宗教指導者たちは、イスラエルの民たちが天の御国に入らせないように妨害し、自分たちも入ろうとしませんでした。
みえのために長い祈りをささげ、神様よりも、黄金を大切に思いました。祭壇よりも、祭壇の上の、供え物を大切に思いました。神の御座よりも、神殿を大切に思いました。神様よりも、昔の人の教えをもっと大切にしました。彼らは十分の一をささげる生活をしていましたが、正義もあわれみも誠実もおろそかにしました。自分たちの大きな悪事は見逃しましたが、民たちの小さな罪は厳しく追及しました。彼らは、目の見えぬ手引きどもでした。
私たちが人に教える前に、まず、自分を教えることができるように祈ります。
祈り:主よ!私が神様の御前で、信仰生活が行なえるようにしてください。
一言:主に喜ばれる生活
2015年 11月 20日 (金)
ああ、エルサレム、エルサレム
宗教指導者たちは、ユダヤ人の習慣に従って、器の外側はきよめていました。ところが、その内面は強奪と放縦で満ちていました。墓の内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいでした。それで、人がさわると、汚れると戒められていました。それで、夜でも、はっきり分かるように白く塗りました。それは、まるで偽善で満ちた宗教指導者たちのようでした。
彼らの先祖たちは、預言者たちを迫害し、殺しました。彼らは、その血を引いていました。後に、救い主イエス様を十字架につけて、殺してしまいます。イエス様は、彼らに向かって言われました。「おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。」(33)。彼らはさばきから逃れることができませんでした。
それでも、イエス様はあきらめずに、宗教指導者たちに話しかけられます。「ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。」(37a)。ああ、エルサレム。これは、慈愛で満ちたイエス様の招きです。呼ばれました。めんどりは、身を挺して、ひなたちを守ります。同様に、イエス様は宗教指導者たちがさばきに会わないように、と何度も、呼びかけられました。しかし、彼らはイエス様の招きの言葉を拒み続けました(37b)。結局、彼らはさばきから逃れることができなくなります。それでも、イエス様は彼らが戻って来るのを、待っておられます(39)。
祈り:主よ!罪によって、滅びるしかなかった私たちを憐れんで、イエス様のもとに集めてくださり感謝します。今、主のみもとに行きます。助けてください。
一言:ああ、エルサレム
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