聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2021]

2021年 04月 19日 (月)

マタイの福音書8:1-4(3)
私の心だ

群衆に御言葉を語り終えられた後、イエス様は山から下りて来られました。大勢の群衆がイエス様に従いました。その中にツァラアトに冒された人がみもとに来て、イエスに向かってひれ伏して「主よ、お心一つで私をきよくすることがおできになります。」(2)と言いました。彼はイエス様に自分のツァラアトを治す能力があることを信じました。彼は「イエス様、私を治して下さい」と堂々と言いたかったでしょう。しかし彼は、自分は治していただく資格がないと思いました。それで彼はそのように言えず「お心一つで」治して下さいと懇願しました。彼はイエス様にすべてのことを委ねました。

 イエス様は手を伸ばして彼にさわり、「私の心だ。きよくなれ」と言われました。イエス様は彼がきよめられ、健康に生きることを願われています。イエス様が言われるや否やツァラアトはきよめられました。イエス様の治癒の能力は真に驚くばかりです。イエス様は不治の病のツァラアトをきれいに治すことでご自分がメシアであることを現わされました。イエス様は彼が再び社会の中で生きていけるように助けました。祭司に会いに行き、モーセが命じたささげ物をし、自分が健康になったことを立証するように言われました。イエス様は私たちが健康できよく生きることを願われます。イエス様は信仰によって祈る者たちに、ご自分の能力をあらわされます。イエス様は私たちの病を治す能力を持っておられるだけではなく、私たちがきよめられることを願う慈愛にも満ちたお方です。



適用:イエス様の能力と慈愛を信じますか

一言:きよくなれ



2021年 04月 20日 (火)

マタイの福音書8:5-17(10)
これほどの信仰

 イエス様がカペナウムに入られると、一人の百人隊長がみもとに来て、中風の為、ひどく苦しんでいるしもべを治して下さるように懇願しました。イエス様は「行って彼を治そう。」と言われました。しかし、百人隊長はイエス様を自分の屋根の下にお入れする資格は、自分にはないと考え、「ただ、お言葉をください。そうすれば私のしもべは癒やされます。」と言いました。彼がこのようにしたのは、軍隊の上意下達体系をよく知っていたからです。イエス様は彼の言葉を聞いて驚きました。「イスラエルのうちの誰にも、これほどの信仰を見たことがありません。」と言われました。彼の信仰は、イエス様の御言葉の能力を信じる信仰でした。イエス様は彼の信仰をほめて、異邦人たちは天の御国に入るようになるけれど、イスラエルは外の暗闇に放り出され、そこで泣いて歯ぎしりをする、と言われました。これは、イエス様の恵みと天の御国に入る特権が、信仰のある異邦人に与えられると言うことです。イエス様は彼に、「あなたの信じる通りになるように。」と話され、彼の信仰を祝福されました。するとちょうどその時、そのしもべは癒されました。

 イエス様は、熱を出して寝ているペテロの姑を治して下さいました。イエス様は私たちのわずらいを担い、私たちの病を負ったメシアです。これは預言者イザヤを通して語られたことが成就するためでした。イエス様は私たちのわずらいと病を担うことで、私たちを回復させて下さいます。このイエス様を信じて出ていく人は、すべてのわずらいと病を治していただけます。イエス様は御言葉の能力を信じる信仰を喜ばれ、祝福して下さるお方です。



適用:御言葉の力を信じていますか

一言:ただ、お言葉を下さい



2021年 04月 21日 (水)

マタイの福音書8:18-22(22)
私に従って来なさい

 一人の律法学者がイエス様に来て、「先生。あなたがどこに行かれても、私はついて行きます。」と言いました。彼は聖書先生でした。彼はイエス様を立派な先生だと考え、また自分の学問的な好奇心の為にも、イエス様に従おうとしたようです。イエス様は彼に「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません。」と言われました。「枕するところもない」とは、貧しい生活を意味します。自分の理想と期待だけを持ってイエス様に従うことは出来ません。イエス様の弟子は苦難を覚悟しなければなりません。弟子の生き方とは、私たちのために貧しくなられたイエス様を見習い従う生活だからです。

 また、別の一人の弟子がイエス様に「主よ。まず行って父を葬ることをお許し下さい」と言いました。古今東西、父親を葬ることは一番重要なことでしょう。ところが、イエス様は「わたしに従って来なさい。死人たちに、彼ら自身の死人たちを葬らせなさい。」と言われました。これは、この世のどんなことよりも、イエス様に従うことが最も大切で重要なことであることを教えてくれます。イエス様以外のものを最優先する人は、イエス様の弟子にはなれません。イエス様の弟子は、イエス様に従うことを生活の第一に置かなければならないのです。



適用:何を一番大事にし、重要と考えますか

一言:イエス様



2021年 04月 22日 (木)

マタイの福音書8:23-34(26)
風と湖を叱りつけられた

イエス様が舟に乗られると、弟子たちも従いました。すると湖は大荒れとなりました。舟は大波をかぶり、今にも沈みそうでした。ところが、イエス様は眠っておられました。弟子たちは近寄って、イエス様を起こして「主よ、助けて下さい。私たちは死んでしまいます。」と叫びました。イエス様は「どうして怖がるのか、信仰の薄い者たち。」と言われました。イエス様はすぐに起き上がり、風と湖を叱りつけられました。すると、少し前まで舟を飲み込むような大暴風だったのが、すっかり凪になりました。弟子たちは驚いて「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどういう方なのだろうか。」と言いました。イエス様はこの出来事を通して自然さえも統治される方であることをあらわされました。

 イエス様がガダラ人の地にお着きになると、悪霊につかれてひどく凶暴になっている二人の人が、墓場から出てきてイエス様を迎えました。二人は、イエス様が彼らを苦しめに来た方で、最後の時になれば自分たちが裁きを受けることを知っていました。それで、彼らは自分たちを追い出すのなら、豚の群れの中に送ってほしいとイエス様に懇願しました。イエス様が彼らに「行け」と言われると、悪霊どもは出て行って豚に入りました。そして、その群れ全体が崖を下って湖になだれ込み、水に溺れて死んだのです。豚を飼っていた人たちは逃げ出して、町ですべての出来事を残らず知らせました。町の人たちは、イエス様のところにやってきて、その地方から立ち去ってほしいと懇願しました。

 イエス様は風と湖を静めるだけではなく、悪霊を追い出す能力もある方です。イエス様は自然万物をおさめ、霊的世界を支配されます。イエス様に日々治められているなら、人生の大波の時にも、イエス様が下さる平安を味わいます。



適用:イエス様をどんな方だと思っていますか

一言:風を叱りつけ、悪霊を追い出すお方


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