聖書別日ごとの糧   >>   マタイ[2021]

2021年 05月 16日 (日)

マタイの福音書11:1-19(11)
偉大なしもべ、バプテスマのヨハネ

 バプテスマのヨハネは、牢獄でキリストのみわざについて聞き、自分の弟子たちを通じて、イエス様に尋ねました。「おいでになるはずの方はあなたですか。」ヨハネは自分の期待通りにいかない現状を見て、疑いが生じたようです。幸いにも、不信仰に陥ることなく、イエス様に直接確かめたいと思いました。イエス様はヨハネの弟子たちに、見たり聞いたりしていることをヨハネに伝えるようにと、答えられました。イエス様は、目の見えない者たちが見、足の不自由な者たちが歩き、ツァラアトに冒された者たちがきよめられ、耳の聞こえない者たちが聞くようにされました。また、死人たちを生き返らせ、貧しい者たちに福音を伝えられました。これはイザヤ書で預言されているメシアのみわざです(イザヤ書35:5,6、61:1)。イエス様はみわざによって、ご自身が聖書で預言されたメシアであることを確信するように助けてくださいました。

 ヨハネは風に揺れる葦のような人ではありませんでした。彼は誘惑と試みの時も揺れることなく、確固たる姿勢で先駆者としての使命を果たしました。ヨハネは柔らかな衣を着た人ではありませんでした。富と栄華、平穏な暮らしを捨て、荒野での苦難の道を選びました。このようなヨハネは預言者よりも優れた人です。預言者たちは来たるべきメシアについて宣べ、待ち望みましたが、ヨハネはそのメシアを目の前で見て、メシアの道を備える使命を担ったからです。ところが、イエス様は「天の御国で一番小さな者でさえ、彼より偉人」だと言われます。これは御業の優劣について言っているのではなく、メシアによって新約時代の聖徒たちが受ける恵みの大きさについて言われたのです。

 当時の人々は福音を聞いても反応しませんでした。むしろ、バプテスマのヨハネとイエス様を非難し、様々な理由をつけて受け入れませんでした。しかし、いくら否定しても、イエス様のみわざによってその正しさは証明されます。



適用:風に揺れる葦のようですか

一言:揺れることなく



2021年 05月 17日 (月)

マタイの福音書11:20-30(28)
わたしのもとに来なさい

 イエス様が力あるわざを数多く行った町々が悔い改めませんでした。イエス様がコラジンとベツサイダで行われた力あるわざがツロとシドンで行われていたら、彼らはとうの昔に悔い改めていたでしょう。イエス様は力あるわざを行われましたが、カペナウムは高慢になって悔い改めませんでした。もし、そのような力あるわざがソドムで行われていたら、ソドムは今日まで残っていたでしょう。福音を聞いても悔い改めないなら、厳しいさばきがあると警告しています。

 イエス様は、愛して仕えた人々が福音を受け入れない現状から、神様の奥義を見出されました。天地の主であられる父なる神様は、知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような人に現わしてくださいます。神様の福音の奥義を悟ることのできる人は、頭脳明晰な人ではなく、御霊の啓示を受けた人です。

 イエス様は疲れた人、重荷を負っている人々を招いてくださいます。今日の人々は、将来に対する不安を抱え、多忙な毎日に疲れ、様々な重荷を負って生きています。疲れと重荷を解消するために、旅行に行ったり楽しいことを求めたりします。イエス様はご自分のもとに来なさいと招いてくださいます。イエス様のもとに行けば休めるからです。心が柔和でへりくだっているイエス様のくびきを負って、イエス様から学ぶ時、たましいに安らぎを得ます。イエス様のくびきは負いやすく、その荷は軽いです。イエス様のくびきをいやがって脱ぎ捨ててしまったら、罪とサタンのくびきを負うことになり、多くの苦しみと重荷を負って生きることになりかねません。



適用:疲れて、重荷を負っていますか

一言:休ませてあげます


<<(1)    前のページ(10)    11    次のページ(12)    (28)>>

聖書別日ごとの糧