聖書別日ごとの糧   >>   マルコ[2016]

2016年 01月 26日 (火)

マルコ4:1-20
種を蒔く人のたとえ

 今日の御言葉で、イエス様は「種を蒔く人」のたとえを話されます。種を蒔くが出かけて行き種を蒔きましたが、ある種は道ばたに、ある種は土のうすい岩地に、ある種はいばらの中に、そしてある種は良い地に落ちました。そして、良い地に落ちた種は百倍、六十倍、三十倍の多くの実を結びましたが、別の地に落ちた種は、実を結ぶことができませんでした。
 このたとえで、「種を蒔く人」はイエス様、「種」は神様の御言葉を指します。また、道ばた、土の薄い岩地、いばら、良い地は、それぞれ神様の御言葉を受ける私たちを指しています。イエス様は、人々の心に、神様の御言葉を蒔きに来られました。人々の心に、神様の御言葉が蒔かれ、その御言葉が実を結び、罪の赦しを受け、神様の御国の救いの秘密を知らせようと、されました(11,12)。
 神様の御言葉は、生きていて活力があります(ヘブ4:12)。それで、私たちの心の畑さえ良ければ、必ず実を結びます。イエス様の御言葉を学んでも、実を結べないのは、心が高ぶり、御言葉を受け入れようとしないからです。また、せっかちで、ありとあらゆる欲望に捕らえられているからです。
 良い心の畑は、謙遜に御言葉を受ける人です。「御言葉を受ける」とは、聞いた御言葉を、自分の人生観と価値観と生活の基礎において、御言葉に聞き従うことです。その時、救いと永遠のいのちを得て、実を結ぶ生活をするようになります。

祈り:主よ!私が、御言葉の前で悔い改めることで、良い心の畑になるように助けてください。御言葉の力を信じ、御言葉の種を蒔くように助けてください。

一言:心の畑が問題だ



2016年 01月 27日 (水)

マルコ4:21-34
御言葉と神の御国

1.燭台の上のあかり(21-25)
 人があかりを持って来るのは、枡の下や寝台の下に置くためではありません。燭台の上に置いて、光りを照らすためです。あかりは、照らすことに価値があります。あかりが照らす時、闇が退きます。神様の御言葉は、ともしびのようなものです(詩119:105)。神様の御言葉を受け入れたクリスチャンは、暗い世のともしびにならなければなりません。世を照らすために、私たちの中に、神様の御言葉がなければなりません。御言葉を深く研究し、黙想しなければなりません。そして、御言葉に従って、生きようと努力しなければなりません。
2.生長する種のたとえ(26-34)
 神様の御国は、まるで人が地に種を蒔くようなものです。地に蒔かれた種は、農夫の知らない間に生長します。初めに苗、次に穂、次に穂の中に実が入ります。このように神様の御国も、順を追って生長します。それで、私たちの中に蒔かれた神様の御国が生長して実を結ぶまで、耐え忍ぶ姿勢が必要です。
 神様の御国は、またからし種のようなものです。からし種は種の中で、一番小さなものです。しかし地に蒔かれた後、その陰に空の鳥が巣を作れるほどに生長します。神様の御国も、からし種のような一言の御言葉で始まりますが、将来、世の人々がとどまるほどにまで生長します。また、神様の御言葉は、人を生長させます。いくら足りない人であっても、神様の御国の中で、信仰の巨木として生長することができます。

祈り:主よ!私が、短気と、信仰がないことを悔い改めます。熱心に、御言葉と宣べ伝えます。

一言:信仰と忍耐で、御言葉を宣べ伝えよう



2016年 01月 28日 (木)

マルコ4:35-41
信仰がないのは、どうしたことです

1.黙れ、静まれ(35-39)
 夕方になって、イエス様は弟子たちに言われました。「さあ、向こう岸へ渡ろう。」。それで、弟子たちは櫓をこいで、湖の向こう岸へ渡っていましたが、突然、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって水でいっぱいになりました。このような中でも、イエス様は、とものほうで、枕をして眠っておられました。弟子たちは怖くなって、イエス様を起こしました。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」イエス様は、弟子たちの切なる叫び声を聞かれ、海に向かって命じられました。「黙れ、静まれ。」すると、風はやみ、大なぎになりました。一言の御言葉だけで、突風を静められたイエス様は、世の万物を主管される創造主の神様です。
2.信仰がないのは、どうしたことです(40,41)
 風を叱って静められたイエス様は、今、弟子たちを咎められました。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」弟子たちは、突風の中でひどく苦労をしましたが、イエス様は、彼らに同情したり、慰めたりはしませんでした。むしろ、弟子たちの信仰がないことを、咎められました。彼らのそばにイエス様はおられましたが、弟子たちはイエス様を仰ぎ見ずに、突風だけ見て、恐れました。
 人生は航海のようです。また、人生の途中で、数多くの突風に遭遇したりもします。しかし、全能なるイエス様が私たちを助けてくださることを信じる時、しっかりとした人生を生きることができます。

祈り:主よ!私が突風の中でも、イエス様を信じる信仰の人になるように、助けてください。

一言:ただ、信仰だけが生きる道


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