聖書別日ごとの糧   >>   マルコ[2016]

2016年 02月 04日 (木)

マルコ7:1-23
人を汚すもの

1.偽善者パリサイ人たち(1-13)
 エルサレムから来たパリサイ人たちと幾人かの律法学者たちが、弟子たちが手を洗わないでパンを食べていると、非難しました。彼らは、昔の人たちの言い伝えを堅く守って、食事の前には、必ず手を洗っていました。彼らは、本当に、敬虔な人々のように見えました。しかし、イエス様は彼らに、「偽善者」だと咎められました。「偽善」とは、うわべだけを装い、外側と内側が違うことを意味します。彼らは、口先では神様を敬っているようですが、心は神様から離れていました(6)。彼らは、うわべでは、神様の戒めを守っているように見えますが、実際には、人々が作った言い伝えを守るために、神様の戒めを捨ててしまいました(8)。彼らは、神様によく見せようとすることより、人々によく見せようと、うわべだけ取り繕いました。
2.人を汚すもの(14-23)
 イエス様は、外側から入って来るものが人を汚すのではなく、人から出て来るものが、人を汚すのだと言われました(15)。外側から人に入って来る食物は腹に入って後に、かわやに出されてしまうだけなので、人の心を汚すことはできません(19)。しかし、人の心から出て来る悪い考え、すなわち、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、あざむき、傲慢などは人を汚します。それで、私たちは手を洗うために努力するのではなく、心にある罪を悔い改めて、イエス・キリストの血によって、心が洗われるように、努力しなければなりません。

祈り:主よ!私の偽善を悔い改めます。キリストの血によって、心の中の悪い考えをきよめてください。

一言:心を洗う



2016年 02月 05日 (金)

マルコ7:24-37
私たちの願いを聞いてくださるイエス様

1.そうまで言うのですか、それなら家にお帰りなさい(24-30)
 イエス様がツロ地方の、ある家に入っておられた時でした。汚れた霊につかれた小さい娘のいる女が、このことを聞きつけて、イエス様に進み出て、自分の娘から悪霊を追い出してくださるように、願い続けました。ところが、女の哀願にも関わらず、イエス様は、「子どもたちのパンを取り上げて、子犬に小犬に投げてやるのはよくないことです。」と言って、拒まれました。この御言葉は、彼女が異邦人のギリシャ人であるために、助けることはできない、という意味です。女は、一言で、イエス様から人間以下の扱いを受けたのです。どれだけ自尊心が傷ついたのでしょうか。しかし女は、自分はイエス様の助けを受ける資格がないことを、認めました。そして、ただイエス様の恵みだけを求めました(28)。彼女には、娘を直そうとする切実な愛がありました。何より謙遜でした。イエス様は、このような彼女に、恵みを施してくださいました。
2.聞こえない者を癒されたイエス様(31-37)
 イエス様がシドンを通って、ガリラヤ湖に来られた時でした。人々は、耳が聞こえず、口のきけない人を連れて来て、イエス様が彼の上に手を置いてくださるように、願いました。そこで、イエス様は彼らの願いを聞かれ、その人に「エパタ」(開け)と言われました。すると彼の耳が開き、舌のもつれもすぐに解け、はっきりと話せるようになりました。今日、霊的な耳が閉じられ、神様の御言葉を聞けない人々が多くいます。彼らは分別力がなく、生きる姿勢がはっきりしていません。もどかしいです。彼らはイエス様の癒しが必要です。

祈り:主よ!私にも、スロ・フェニキヤの女のように、謙遜に願い求める姿勢をください。

一言:謙遜であるなら、イエス様の助けを受ける


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