聖書別日ごとの糧   >>   マルコ[2016]

2016年 04月 02日 (土)

マルコ14:1-9
イエス様に香油を注いだ女

Ⅰ.つぼを割った女(1-3)
 時は、二日後にイエス様が神様の子羊として殺されなければならない、過越の祭りの日でした。イエス様は、ベタニヤのシモンの家で、食事の接待を受けておられました。その時、一人の女が非常に高価な香油の入ったつぼを持って来て、割って、イエス様の頭に注ぎました。それによって、よい香りが家中に広がって行きました。
 女にとって、つぼは非常に大切なものです。ここには、女の結婚に対する夢と真心、涙と犠牲が込められています。女の全てが込められています。女はイエス様の恵みに感謝して、自分のもっとも貴い、そのつぼを割って、主にささげました。この女の心には、感謝と感激が満ちていました。
Ⅱ.女の真心を受けられたイエス様(4-9)
 何人かの者が、女が香油を無駄にした、と非難し、憤慨しました。彼らはすべてのものをお金に換算する人々でした。しかしイエス様は、女の犠牲と献身を、りっぱなこととしてご覧になりました。そして、これが福音の御業において、長く残る記念日としてご覧になり、「福音が宣べ伝えられる所なら、彼女のした事も語られて、この人の記念になる」と言われました。イエス様は、女の全ての真心を受け入れ、たっとく用いてくださいます。人にとって、自分の全ての真心をささげる所を見つけることほど、感激に満ちたものはありません。イエス様は、私たちの真心を受けるのに、ふさわしい方です。

祈り:主よ!私のつぼを割って、主にささげます。私の真心を受け取って、万民救いの御業に、たっとく用いてください。

一言:私の真心を主に



2016年 04月 03日 (日)

マルコ14:10-26
最後の晩餐

Ⅰ.「わたしといっしょに食事をしている者が、わたしを裏切ります。」(10-21)
 イスカリオテ・ユダは、大祭司から「金をやろう」という約束をして、イエス様を引き渡せるかと、機会を伺っていました。このような中で、イエス様は弟子たちと過越しの食事をしようと、準備を始められました。しかしユダの裏切りを知っておられたので、食事する場所は秘密にしておられました。食事の途中で、イエス様は「あなたがたのうちのひとりで、わたしといっしょに食事をしている者が、わたしを裏切ります。」と言われました。イエス様は、この御言葉を聞いてユダが悔い改めることを、望んでおられました。弟子の裏切りによって、イエス様の心はどれだけ痛かったのでしょうか。しかしイエス様は、裏切られる痛みよりも、裏切り者のたましいが破滅に至ることに、もっと心を痛められました(21)。
Ⅱ.わたしの契約の血です(22-26)
 過越しの食事をしておられた時、イエス様はパンを裂き、与え、「これはわたしのからだです。」と言われました。パンを裂き与えたのは、イエス様が罪人たちの代わりに、むち打たれ、肉が引き裂かれることを、意味します。また、杯を与え、「これはわたしの契約の血です」と言われました。杯は、多くの人のために流される血、すなわち契約の血を意味します。マタイの福音書では、「罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」と言われました(マタ26:28)。イエス様は、過越しの子羊として、私の罪を贖うために、十字架でひどい苦しみを受けられ、赤い血を流されました。今日の聖餐式では、このようなイエス様の救いの恵みを記念することで、この最後の晩餐がその起源となります(Ⅰコリ11:23-26)。

祈り:主よ!尊い主よ!みじめな私のために、貴いからだが引き裂かれ、血を流された、その恵みに感謝の涙を流します。

一言:契約の血



2016年 04月 04日 (月)

マルコ14:27-42
ゲツセマネの祈り

Ⅰ.あなたがたはみな、つまずきます(27-31)
 イエス様は、弟子たちの弱さを、知っておられました。それで試練の日に、弟子たちがみな散らされることを、前もって言われました。そして彼らが再び立ち直れるように、ご自分がよみがえることと、望みと、その後の方向を定められました(28)。しかしペテロは、自分はそんなはずはない、と言い切りました。イエス様は、彼が何年後ではなく、まさにその日の晩、三回もイエス様を「知らない」と言う事を、話されました。三度も否定することは、徹底的に否定することを意味します。しかしペテロは、かたくなにイエス様の御言葉を受け入れませんでした。彼は、人がどれだけ弱い存在であるのか、を知りませんでした。結局、彼は祈らずに、これによって誘惑に陥ってしまいました。
Ⅱ.あなたのみこころのままを(32-42)
 十字架の死を目の前にして、イエス様はひどく驚き、悲しまれました。イエス様は三人の弟子たちに祈りを頼んだ後、ご自分は地にひれ伏して、切に祈られました。イエス様は、できることなら、十字架の苦い杯を取り除けて欲しい、と願いました。しかし結局は、「わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」と祈られました(36)。イエス様は三度も同じ内容の祈りをささげました。血と汗を流して、祈られました(ルカ22:44)。イエス様はついに全ての羞恥と苦難にも関わらず、結局的に神様の御旨に服従しようと決断されました。祈りとは、自分を捨て、神様の御旨に服従するための闘争です。

祈り:主よ!私も神様の御旨に服従するために、毎日祈りの闘争を担うように、助けてください。

一言:わが主の御旨のままに



2016年 04月 05日 (火)

マルコ14:43-52
逮捕されたイエス様

Ⅰ.聖書のことばが実現するために、逮捕されたイエス様(43-49)
 イエス様が祈りで勝利され、十字架を背負うために立ち上がられた時、裏切り者のユダが剣や棒を手にした兵士たちを連れて、ゲツセマネの丘に来ました。彼はイエス様に近寄って、口づけしました。しかしそれは兵士たちに、イエス様を教える裏切りのキスでした。イエス様は、愛する弟子からの裏切りによって、逮捕されました。愛して信頼していた弟子から裏切られた時、それは本当に耐え難いことでした。しかしイエス様はこの出来事を人間として考えませんでした。イエス様は、弟子の裏切りのために、どうすることもできずに逮捕されたのではありません。イエス様は、いくらでも逮捕されないように、することもできました。イエス様は、「こうなったのは聖書のことばが実現するためです。」と言われました(49)。イエス様は、ご自分の苦難や対面よりも、神様の御旨を成し遂げようとされました。
Ⅱ.イエス様を捨てて逃げて行った弟子たち(50-52)
 弟子たちは、大きなことを言っただけで、祈りませんでした。イエス様が祈られた間、眠っていました。その時、試練にぶつかると、彼らは恐れに捕らわれました。弟子のうちの一人は、剣を抜いて、大祭司のしもべの耳を切り落としました。そうして結局は、みなイエス様を捨てて、逃げてしまいました。祈らない時、試練の前で、当惑して無力になるしか、ありません。

祈り:主よ!私が試練の日に逃げる卑怯者にならず、主の御旨を成し遂げる祈りの人になるように、してください。

一言:こうなったのは聖書のことばが実現するためです



2016年 04月 06日 (水)

マルコ14:53-72
わたしは、それです。

Ⅰ.「わたしは、それです」と言われたイエス様(53-65)
 イエス様は、夜明けに議会に連れて行かれました。彼らは不法に夜間に裁判を開き、イエス様を尋問しました。また、この裁判は、すでに公正な裁判ではありませんでした。彼らは前もってイエス様を殺すことに決めておいて、その証拠を探すだけのものでした。
 このような雰囲気では、萎縮するしかありませんでした。しかしイエス様は、大祭司が「あなたは、キリストですか。」と尋ねた時、少しもあわてずに、「わたしは、それです。」とはっきりと答えられました。イエス様は、ご自分がほむべき方の子、キリストであることをはっきりと明かされました。さらに進んで、よみがって天に上られ、神様の右の座に着き、将来さばき主として再臨されることを、明かされました。イエス様は、それによって、死刑宣告を受けられました。私たちも、イエス様のように、どんな苦しみがあっても、自分がクリスチャンであることを、はっきりと明かすことができなければなりません。
Ⅱ.「私は、知りません」と言ったペテロ(66-72)
 ペテロは、イエス様がどのようになったのか、気になり、大祭司の家の下の庭まで来ましたが、本音はぶるぶると震えていました。そうして女中の前で、三度も「わたしは、その人を知りません」と否定しました。祈らなかった時、ペテロは自分も願わないうちに、主を否定してしまいました。イエス様を否定した後に、彼は自分の弱さとイエス様の御言葉を思い出して、泣きました。

祈り:主よ!私も主に見習って、どんな状況の中でも、主の子どもらしく、堂々といられるように、助けてください。

一言:わたしは、それです


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