聖書別日ごとの糧   >>   マルコ[2016]

2016年 07月 19日 (火)

マルコ12:28-37
一番たいせつな命令

 イエス様が宗教指導者たちとの議論で、みごとに答えられたのを知って、律法学者のひとりが感銘を受けました。それで日ごろから悩んでいた問題をイエス様に聞きました。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」(28)。
 当時、イスラエルには十戒めやモーセ五書の中にも、言い伝えで受け継がれた戒めが多くありました。それで真摯に戒めを守ろうとする人々は、全ての戒めの精神を反映する核心の戒めが何であるのか、全ての命令の中で、どれが一番大切なのか、すなわち第一の戒めが何であるのかを知ろうとしました。これは、全ての戒めをよく理解して初めて、答えることのできる難しい質問でした。それに対して、イエス様はどのように言われましたか。
 一番たいせつな戒めは、神様を愛せよ、という命令です。真の信仰生活とは、戒め一つ一つに引っかからないように生活するのではなく、積極的に神様を愛することです。神様を愛しますが、心と思いと知性と力を尽くして愛することです。なぜなら神様だけが唯一の、私たちの主であり、信頼すべき価値がある方だからです。
 次には、隣人を自分自身のように愛せよ、という戒めです。戒めには、隣人に対する義務について、多く出ていますが、一言で、自分のからだを大切にし愛するように、ほかの人も尊く思い、愛せよということです。
 全ての戒めの核心は、神様を愛し、隣人を愛せよ、ということです。「愛」は全ての律法を完成させます(ロマ13:10)。

祈り:主よ!私の心に愛がないことを悟り、痛感します。私にキリストの救いの愛を満たしてくださり、心を尽くして神様を愛し、兄弟を愛するように、助けてください。

一言:神様を愛し、隣人を愛せよ



2016年 07月 20日 (水)

マルコ12:38-44
イエス様が尊く思われること

Ⅰ.形式より内面(38-40)
 イエス様は弟子たちに、「律法学者たちには気をつけなさい」と教えられました。律法学者たちは長い衣をまとって歩き回ったり、会堂の上席や宴会の上席を好み、あいさつされることを好みました。また、祈る時にも、人を意識して、見えを飾るために長い祈りをしました。彼らは形式的には、敬虔で、きよく見えました。しかし彼らの心は貪欲で満たされ、慈悲がなく、やもめの家を食いつぶしました。彼らが人々の目をごまかすことはあっても、神様のさばきから逃れることはできません。イエス様の弟子たちは、彼らとは違っていなければなりません。見かけはあまり良くなくても、その内面がきよく、聖なるものでなければなりません。
Ⅱ.献金の金額より姿勢(41-44)
 イエス様は献金箱に向かってすわり、人々が献金する様子を、見ておられました。多くの金持ちは大金を投げ入れていました。彼らは見せびらかすように、誇らしげに献金しました。反面、一人の貧しいやもめは、やっとの思いで二レプタを入れて、恥ずかしがりました。人々もやもめの献金に見向きもしませんでした。しかしイエス様は弟子たちを呼び寄せて言われました。「この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。」なぜなら彼女の生活費を全部投げ入れたからです。女には、単純にお金をささげるのではなく、自分自身をもささげました。神様は、お金の額より、まず心をささげ、私たち自身をささげることを、喜ばれます。

祈り:主よ!私が形式にとらわれ、形だけ出そうとしていた偽善を悔い改めます。私が心を低くして、まず自分を主にささげます。

一言:自分をささげよう


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