聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2007]

2007年 03月 01日 (木)

ルカ1:1-13
名をヨハネとつけなさい

Ⅰ.正しい人ザカリヤとエリサベツ(5-7)
 ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいました。彼の妻の名はエリサベツでしたが、不妊で、子どもがいませんでした。その上、彼らは年をとっていました。彼らは何の人生の楽しみも望みもなく、羞恥心の中で生きるしかありませんでした。
 しかし彼らは神様を恨んだり、不平を言わず、神様の御言葉に従って、落度なく踏み行なっていました(6)。彼らは神様が認められる正しい人でした。神様はこのような彼らをバプテスマのヨハネを誕生させる器としてお選びになりました。
Ⅱ.ザカリヤの祈る生活(8-13)
 ザカリヤは困難な状況の中でも、神様の御前で祭司の務めを担っていました。祭司職の習慣によって、くじを引いたところ、ちょうど主の神殿にはいって香をたく順番になったのです。ところが香をたいている時に、驚くべきことが起こりました。主の使いが現われて、その妻「エリサベツが身ごもって男の子を産むので、名をヨハネとつけなさい」と言いました(13)。神様は正しい人の祈りを蔑視されません。義人の祈りは働くと大きな力があります(ヤコ5:16)。神様は諦めず祈る者の祈りを必ず聞かれ、尊く用いられます。

祈り:主よ!私がどんな状況の中でも、ザカリヤのように神様の御言葉に従って生き、失望せずに熱心に祈る者になるように助けてください。

一言:主の全ての戒めと定めを



2007年 03月 02日 (金)

ルカ1:14-25
バプテスマのヨハネの使命

Ⅰ.主の御前にすぐれた者(14-17)
 ヨハネの誕生は多くの人にとって喜びになります。なぜなら彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は腐敗した時代を見習わず、純潔な生活をします。そして母の胎内にある時から聖霊に満たされ、使命を担います。彼の使命はイスラエルの子孫を主、すなわち彼らの神様に立ち返らせることです。彼はエリヤの霊と力で、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、主の民を整えます(17)。彼はメシヤの預言者として主の道を備える使命を担うようになります。彼は多くの人々を神様に立ち返らせることで、星のように永遠に輝く偉大な使命人としての人生を生きるようになります。彼は主の前でもっとも優れた者です。
Ⅱ.おしになったザカリヤ(18-25)
 ザカリヤは御使いの言葉を聞いて信じることができませんでした。それで彼は、自分ももう年寄りであり、妻も年をとっているのに、どうしてこのようなことが起こりましょうかと、不信に満ちたことばを話しました。彼は自分の不可能な人間条件だけを見て、神様の力を疑いました。神様はこのような彼に、ヨハネが誕生するまでの間、おしになる訓練を与えられました(20)。エリサベツは神様の力によって妊娠し、お腹が次第に大きくなっていきました。

祈り:主よ!私にエリヤの霊と力を与えてくださり、多くの人を神様に立ち返らせる使命を担うことができるように助けてください。

一言:主の御前にすぐれた者



2007年 03月 03日 (土)

ルカ1:26-38
いと高き方の子

Ⅰ.マリヤに臨んだ恵み(26-33)
 御使いガブリエルはマリヤが「恵まれた方」であることを強調して話しました。彼女が受けた恵みは何でしょうか。マリヤは平凡な田舎娘に過ぎませんでしたが、全世界を救う救い主を誕生させる器として用いられるようになりました。マリヤの体を借りてお生まれになるイエス様は、すぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます(32)。
 平凡な田舎娘のマリヤが、全ての女性が慕い求める聖母マリヤになるとは、どれだけ大きな恵みなのでしょうか。恵みとは何の意味もなく生きていた人が、神様の救いの御業に用いられるようになることです。
Ⅱ.おことばどおりこの身になりますように(34-38)
 マリヤは純潔な処女でした。それで処女が身ごもって子どもを産むことは、理解できないだけではなく、受け入れがたいことです。しかし聖霊が臨み、いと高き方の力がおおえば、不可能ではありません。御使いのカウンセリングを受けたマリヤは決心しました。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」(38)。恵みが大きいほど、痛みも大きいのです。マリヤは処女の体で身ごもらなければならない羞恥と痛みを担わなければなりませんでした。しかしヨセフの婚約者としてよりも、主のはしためとして決心しました。

祈り:主よ!みじめな私を救いの御業に用いられるために、召されたことを感謝します。私がマリヤのように神様のしもべとして主の御言葉に絶対的な姿勢で聞き従えるように助けてください。

一言:恵みが大きいほど、痛みも大きい



2007年 03月 04日 (日)

ルカ1:39-56
マリヤの賛美詩

Ⅰ.エリサベツを訪ねたマリヤ(39-45)
 マリヤがエリサベツを訪ねてあいさつした時、バプテスマのヨハネが胎内でおどりました。エリサベツも聖霊で満たされ、マリヤに「キリストの母が来た。」と熱烈に歓迎しました。そしてマリヤを祝福し、信仰を確信させました。「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」(45)。エリサベツはマリヤを妬んだり、人間として同情しませんでした。むしろ神様の側からその信仰を見て、神様の御業に尊く用いられるように祝福しました。辛い時、信仰の先輩に訪ね、信仰のカウンセリングを受けることは極めて重要なことです。
Ⅱ.マリヤの賛美詩(46-56)
 マリヤはエリサベツを通して、神様の御旨を確信すると、心から賛美がわき上がりました。「わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。」(46-48)。マリヤは自分のように卑しい者を救いの御業に召され、用いられることを通して、神様の大きな愛と、公義、真実など、多くの霊的な秘密を悟り、神様を賛美しました。

祈り:主よ!私のような卑しい者を高め、救いの御業に用いられることを感謝します。私が生涯謙遜にこの恵みをよく担うことができるように助けてください。

一言:信じきった人は幸いである



2007年 03月 05日 (月)

ルカ1:57-80
救いの角、日の出であるイエス様

Ⅰ.救いの角イエス様(67-77)
 神様はアブラハムや先祖たちと結ばれた聖なる契約を覚え、選ばれた民イスラエルを贖うために、ダビデの家に救いの角を立てられました。角は力を象徴します。敵を倒すためには力がなければなりません。イエス様は、私たちの敵サタンを倒し、救うことのできる救いの角です。
 イエス様が私たちを罪とサタンの力から救われた目的は何でしょうか。それは生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えさせるためです(75)。きよく、正しく、恐れなく、神様に仕えることが私たちにとって最も大きな祝福です。
Ⅱ.日の出であるイエス様(78-80)
 ザカリヤはイエス様なしに生きる人々を、「暗黒と死の陰にすわる者たち」と言います。これは詩的には美しく聞こえますが、実際は最もみじめな姿です。人は暗黒と死の陰に座り、虚無と運命と孤独と絶望のため息をついて生きています。イエス様は日の出として臨まれます。いと高き所から日の出が訪れる時、全ての暗闇と死の陰は消え去ります。日の出は私たちにいのちを与え、望みを与えます。また私たちを平和の道に導きます。

祈り:主よ!敵であるサタンに支配され、死ぬほどの苦労をしていた私を救ってくださった救いの角イエス様を賛美します。暗い私の心に日の出として訪れてください。

一言:救いの角、日の出


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