聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2007]

2007年 03月 31日 (土)

ルカ9:1-9
伝道旅行に遣わされたイエス様

Ⅰ.力と権威をお与えになったイエス様(1-6)
 彼らを遣わされながら、悪霊を追い出し、病気を直すための、力と権威をくださいました。イエス様がお遣わしになる時、自分たちに力がないことを知り、ためらう人がいます。しかし福音の御業において、人間的な力は何の意味もありません。イエス様は私たちをお遣わしになる時、必ずその御業を担うのに必要な力をくださいます。私たちがすることはイエス様がくださる力を信じて、聞き従うことです。
 それでイエス様は、「旅のために何も持って行かないようにしなさい。」と命じられます。またどこに行っても受け入れる人がいれば、続けてとどまり、受け入れない時には足のちりを払い落としなさいと言われます。人までも頼ってはならないということです。イエス様は、ただご自分の力だけに頼るように、言われました。
Ⅱ.ひどく当惑したヘロデ(7-9)
 弟子たちはおぼつきませんでしたが、イエス様の御言葉に聞き従いました。すると村々や至るところで、福音の御業が起こりました。ヘロデ王はひどく当惑し、自分が殺したバプテスマのヨハネがよみがえったのだ、と不安に思うほどでした。イエス様に聞き従えば、福音の御業は起こります。そして福音の御業が起きれば、罪人たちは当惑するようになります。

祈り:主よ!私が、主から力を受けたことを信じて出て行きます。私に信仰の従順を施してください。

一言:聞き従いさえすればいい



2007年 04月 01日 (日)

ルカ9:10-17
五千人を食べさせたイエス様

Ⅰ.群衆を迎え入れられたイエス様(10,11)
 イエス様が弟子たちを連れて行こうとしたのは、伝道旅行から帰って来た弟子たちと休みを取るためでした。しかしそこまでついて来た群衆たちによって、休むことができなくなりました。ところがイエス様はその群衆をわずらわしいとは思わずに、みな迎え入れてくださいました(11)。そして日が暮れるまで心を尽くして神の国のことを話し、病気の人を癒してくださいました。イエス様は本当に良い羊飼いです。
Ⅱ.あなたがたで、何か食べる物を上げなさい(12-17)
 日が暮れても帰ろうとしない群衆を見て、弟子たちはイエス様に「村にやって宿をとらせ、何か食べることができるようにさせてください。」と言いました(12)。しかしイエス様は弟子たちに「あなたがたで、何か食べる物を上げなさい。」と言われました。もちろんイエス様も弟子たちにお金がないことぐらいは知っておられます。それでもこのように命じられたのは、群衆の牧者となるべき彼らが持たなければならない信仰を植えつけるためでした。
 弟子たちは、自分たちには五つのパンと二匹の魚しかないので、不可能だと答えました。しかしイエス様はこの五つのパンと二匹の魚で五千人の群衆をお腹いっぱい食べさせました。イエス様は、何もなくても否定的な結論を出しませんでした。あるもので、信仰によって働かれました。弟子たちも群衆をたべさせる牧者になるためには、このような信仰を学ばなければなりません。

祈り:主よ!私が条件のせいばかりにしていたことを悔い改めます。イエス様の力を信じ、五つのパンと二匹の魚をささげます。

一言:牧者の心情と、五つのパンと二匹の魚さえあれば、良い



2007年 04月 10日 (火)

ルカ9:28-36
彼の言うことを聞きなさい

Ⅰ.モーセとエリヤと話されたイエス様(28-31)
 変えられたイエス様の栄光ある御姿は、本来神様の御国におられる時の御姿であり、死後によみがえられる栄光ある御姿です。イエス様は十字架をためらう弟子たちに十字架の後には必ず復活の栄光があることを見せてくださいました。
 イエス様の御姿が変わると、何とモーセとエリヤが栄光のうちに現われ、イエス様が将来エルサレムで遂げようとしておられる最期についていっしょに話しあっていました。彼らがイエス様と共にイエス様の最期について話したのは、イエス様の死も彼らが話した神様の御旨であることを、悟らせるためでした。
Ⅱ.彼の言うことを聞きなさい(32-36)
 夢見心地になったペテロはその栄光ある光景を見て、幕屋を造り、そこに住もうと言いました。無意識のうちに、十字架を嫌う本性が現われました。その時雲に包まれ、その中から神様の御声が聞こえて来ました。「これは、わたしの愛する子、わたしの選んだ者である。彼の言うことを聞きなさい。」彼らは人間的な考えを捨てて、栄光ある神様の御子イエス様の御言葉を聞かなければなりません。

祈り:主よ!私が十字架を負って、主について行けば、主と共に栄光ある復活に預かれることを信じます。

一言:栄光ある十字架



2007年 04月 11日 (水)

ルカ9:37-43
汚れた霊につかれた子どもを癒されたイエス様

Ⅰ.信仰がない弟子たち(37-41)
 イエス様が山から降りて来られると、汚れた霊につかれた子どもの父親は一つ一つ話しながら、「お弟子たちに、この霊を追い出してくださるようお願いしたのですが、お弟子たちにはできませんでした。」と言って、イエス様の助けを求めました。その時、イエス様は嘆いて言われました。「ああ、不信仰な、曲がった今の世だ。いつまで、あなたがたといっしょにいて、あなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。」(41)。イエス様は、三年間我慢して信仰を植えた弟子たちが不信仰によって何もできずにいることを、悲しまれました。イエス様は私たちに信仰がない時、最も悲しまれます。
Ⅱ.汚れた霊を追い出されたイエス様(42,43)
 子どもをイエス様のところに連れて来ると、悪霊は更に抵抗して、子どもを打ち倒して、激しくひきつけさせてしまいました。しかしイエス様は汚れた霊をしかると、汚れた霊は出て行き、子どもは癒されました。人々はイエス様を通して現われた神様のご威光に驚嘆しました。弟子たちはこのようなイエス様を信じ、力を受けなければなりませんでしたが、自分たちも伝道旅行で悪霊を追い出せたという自慢(9:6)や、他人との競争心(46)のため癒せませんでした。イエス様を信じ、祈ることで、霊的な力を受けなければなりません。

祈り:主よ!私が今まで信仰がなく、無能な人生を生きて来たことを悔い改めます。私の不信仰と自慢しようとする心を悔い改めるので、信仰を施してください。

一言:信じて祈れば、霊的なことをすることができる



2007年 04月 12日 (木)

ルカ9:44-56
エルサレムの入城を決心されたイエス様

Ⅰ.十字架の道理を繰り返して教えられたイエス様(44,45)
 汚れた霊につかれた子どもを癒されて後、イエス様は弟子たちに再びご自分が殺されることを、教えられました。しかし弟子たちはイエス様の御言葉が理解できませんでした。その意味を知ることを恐れ、負担に思ったので、理解することができませんでした(45)。
 それでもイエス様は繰り返し、キリストの苦難と死について、教えられました。なぜならそれが福音の確信であるからです。イエス様は、弟子たちが必ず知らなければならない真理に対しては、彼らが受け入れようと受け入れまいと、続けて教え、植えつけようとされました。
Ⅱ.十字架の道を行かれるイエス様(46-56)
 イエス様はエルサレムに行くことを決心されました。神様の御旨に聞き従い、世の全ての人を救おうとされました。しかし弟子たちはイエス様の御言葉を受け入れようとはせず、イエス様の心を理解しようとはしませんでした。彼らの関心は、自分たちの中で一番偉いのは誰か、でした(46)。また彼らは、自分たちだけがイエス様の弟子だという、独占欲で、自分たちと一緒でない者を退けました(49)。更には、自分たちを受け入れないからといって、村中を火で焼いてしまおうと、しました(54)。イエス様は彼らの傲慢と虚栄心をお叱りになり、謙遜と寛容を教えられました(48,50,55)。

祈り:主よ!私は自分が主の弟子であると言いながらも、主の心を知りません。また傲慢で心が狭いです。私を助けてください。

一言:主の広い心



2007年 04月 13日 (金)

ルカ9:57-62
枕するところもないイエス様

Ⅰ.貧しさを覚悟する(57,58)
 一人がイエス様について行こうとしました。おそらく彼はイエス様の力と人気を見て、その弟子になりたかったのでしょう。イエス様は彼に、自分の枕する所もなく生活している貧しい現実を話されました。理想だけを抱いて、イエス様について行くことはできません。どんな貧困と逆境をも担う覚悟をしなければなりません。
Ⅱ.すべてのことより、神様の御業を優先にすること(59,60)
 今度は、イエス様が別の人に言われました。「わたしについて来なさい。」。しかし彼は「まず行って、私の父を葬ることを許してください。」と言いました。父親を葬ることは倫理的なことです。しかしイエス様は「死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい。」と言われました。イエス様の弟子になるためには、どんなに大切なことよりも、神様の御業を優先にする覚悟がなければなりません。
Ⅲ.うしろを見てはいけない(61,62)
 イエス様について行こうとする人が、家族と別れのあいさつをした後イエス様について行こうとしました。しかしイエス様について行きながらも、体面と人情に縛られ、うしろを見ようとしたのです。しかし手に鋤をつけてから、続けてうしろを見ると、正しく畑を耕すことはできません。

祈り:主よ!私は主について行くことを心から願っています。今手を鋤につけるので、主だけを見るように、助けてください。

一言:手に鋤をつけてから


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