聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2007]

2007年 04月 22日 (日)

ルカ12:1-12
恐れなければならない方

Ⅰ.権威を持っておられる方を恐れなさい(1-7)
 イエス様はパリサイ人たちの偽善に影響を受けないように注意しなさいと警告されます。彼らは、一人でいる時と、人々が見ている時の生活が違っていました。しかし結局隠れたものが現われ、隠されていることが明るみにでるのは当然のことです。このような人たちを恐れる必要はありません。
 私たちが本当に恐れなければならない方は誰でしょうか。人は私たちのからだを殺すことはできますが、それ以上何もできません。しかし神様は殺した後、私たちのたましいをゲヘナに投げ込む権威を持っておられます。私たちが本当に恐れなければならない方は神様です。神様を恐れる時、人を恐れたり、パリサイ人のように外側と内側が違う人をうらやましく思う必要もありません。神様は私たちのたましいを繊細に保護しておられるのに、私たちは何を恐れるのでしょうか(6,7)。
Ⅱ.人の前でわたしを認めなさい(8-12)
 人々を恐れ、自分がクリスチャンであることを明かすのをためらう人がいます。しかし終わりの日にイエス様はこのような人にどのように接するでしょうか(8,9)。信仰の中心を守ろうとすれば、どんな場合にも聖霊が助けてくれます(10-12)。少しも恐れる必要がありません。

祈り:主よ!私が主だけを恐れることで、人々に対する恐れから解放してください。

一言:本当に恐れるべき方



2007年 04月 23日 (月)

ルカ12:13-21
どんな貪欲にも注意しなさい

Ⅰ.食べて、飲んで、楽しんではならない(16-19)
 一人の金持ちがいました。彼は熱心に働きました。畑を耕し、豊かな作物を得ました。またこれを浪費しないように未来に備えました。彼は若い時、苦労をし、今は安心して、食べて、飲んで、人生を楽しもうとしました。ところが神様はこのような人に何と言われますか。
Ⅱ.愚か者(20,21)
 この人の問題は、財産が多ければ、自然に人生は価値あるもとのなり、幸福がともなうようになると考えていたところに、ありました。彼は自分の幸福のために計画を立て苦労しましたが、神様と隣人のためには惜しみました。神様はこのような人に言われます。
 「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」彼は、その全ての財産と自分のいのちが神様のものであることを知りませんでした。自分のためには豊かでも、神様の前に富まない者はみな愚かな金持ちのようです。

祈り:主よ!私は物が豊かなこの時代に心が病み、愚かな金持ちのようです。私のいのちと財産を主と福音のためにささげます。

一言:神様の前に豊かな者が本当に豊かな者



2007年 04月 24日 (火)

ルカ12:22-34
神の国を求めなさい

Ⅰ.心配したりするのはやめなさい(22-30)
 イエス様は、いのちのことで何を食べるのか、からだのことで何を着ようかと心配したりするのはやめなさい、と言われました。いのちは食べ物より大切であり、からだは着物よりたいせつだからです。私たちの心配は、いのちより食べる物を、からだよりも着物を大切にする欲望と虚栄心から始まるのです。
 心配したからといって、問題が解決するわけではありません。また心配しなくても、いのちに必要な食べる物、からだに必要な着物を、神様がくださいます。烏やゆりの花のことを考えてみましょう。神様が養い、装ってくださるのです。まして神様に選ばれた子どもたちを、どれだけ真実に顧みてくださるのでしょうか。心配は神様の愛を疑うことから生じるものです。
Ⅱ.神の国を求めなさい(31-34)
 私たちは心配の代わりに何をしなければならないのでしょうか。イエス様は言われます。「何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。」(31)。私たちがすべきことは、神様の国を求め、福音の御業に忠実であることです。そうすれば衣食の問題は、神様が全て解決してくださいます。これはイエス様の約束です。

祈り:主よ!私は無駄な心配と恐れに捕らわれていました。私が信仰によって福音の御業に献身できるよう助けてください。

一言:心配する時間に、神の国を求めなさい。



2007年 04月 25日 (水)

ルカ12:35-48
忠実な思慮深い管理人

Ⅰ.目をさましていなさい(35-40)
 イエス様は、ご自分を婚礼から帰って来る主人に、クリスチャンは主人を待つしもべに、たとえられます。婚礼の家に行った主人が必ず帰って来るように、イエス様も必ず再臨されます。イエス様は救い主として羊たちに仕え、十字架で死なれました。そして三日目によみがり、天に上られました。このイエス様は再び来られますが、その時は裁き主として再臨されます。イエス様はまるでどろぼうのように思いがけない時に来られます。
 このイエス様を迎える私たちはどんな姿勢を持たなければなりませんか。いつでもイエス様を迎え入れることができるように目を覚ましていなければなりません。肉体は休んでいても、霊的な緊張はといてはいけません。イエス様は、その日目を覚ましている人々を手厚くもてなしてくださいます(37)。
Ⅱ.忠実な思慮深い管理人(41-48)
 特に、主のしもべたちはイエス様の羊たちのいのちを任された管理人です。忠実で思慮深い管理人になり、時に従って、必要ないのちの御言葉を与えなければなりません。反面、使命に忠実ではなく、勝手な生活をする管理人は厳しいさばきを受けるようになります。
 特権が大きければ大きいほど、それに伴う責任も大きいのです。主のしもべたちが特権だけ主張し、使命に忠実でなければ、厳しい罰を受けます。神様は、多くの能力と才能を任せた人には、さらに多くのことを求められます。

祈り:主よ!足りない私に主の尊い羊たちを任せてくださり感謝します。私が忠実な思慮深い管理人になるよう、助けてください。

一言:目を覚ましていなさい



2007年 04月 26日 (木)

ルカ12:49-59
地に火を投げ込むために来られたイエス様

Ⅰ.むしろ、分裂です(49-53)
 イエス様は、神様との正しい関係性を失ってしまったことで、本当の平安がない人々に、本当の平和を与えるために来られました。そのために、イエス様は十字架の上で、和解の供え物とならなければなりませんでした(50)。イエス様のこの十字架の働きを受け入れる人々は平和を受けます。
 しかしこの福音を受け入れるとき、不信仰の家庭や不信仰の社会から歓迎されなくなります。分裂が起こります。これは当然のことです。むしろそれまでの偽りの平和が壊され、キリストを中心とした新しい平和が形成されなければなりません。イエス様を信じることで、家庭や職場で分裂が生じた時、それを変に思う必要はありません。ただ、彼らもイエス様を受け入れ、本当の平和を持つように、祈るだけです。
Ⅱ.どうして今のこの時代を見分けることができないのですか(54-59)
 イエス様は、地や空の現象を見分けることを知りながら、時代を見分けることができない人々を咎められました。これは、イエス様の人格と御言葉、そしてその行われた働きを通して、イエス様がキリストであることを知ることができるにも関わらず、受け入れないかたくなな心を咎める御言葉です。

祈り:主よ!私が主を信じる時、私の家から迫害されることを不思議に思いません。私が中心をよく守ることができるように助けてください。

一言:十字架を通しての平和


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