聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2007]

2007年 05月 04日 (金)

ルカ15:1-10
見つかるまで探されるイエス様

Ⅰ.パリサイ人の心(2)
 パリサイ人たちは御言葉を熱心に学び、祈りも熱心にしました。誰が見ても信仰生活をよくしているようでした。しかし彼らは神様の御心を知りませんでした。自分たちは義人だと言って、罪人たちを遠ざけました。むしろ罪人たちを愛されるイエス様を非難しました。彼らは神様の御心を知らない自分勝手な信仰にだけ熱心でした。
Ⅱ.神様の御心(3-10)
 百匹の羊の中の一匹がいなくなれば、羊飼いにはいなくなった一匹の羊が大切なものです。九十九匹を野原に残して一匹の羊を見つけるまで、切にいなくなった羊を呼ぶ羊飼いの声を聞いてみましょう。また見つけた時、喜びのあまり隣人を集めて宴会を開く羊飼いの喜びを考えてみましょう。銀貨十枚の中の、なくした銀貨を探すために、念入りに探す女の人の心も同じです。
 このようにイエス様は失った一人を大切に思い、見つけるまで探しておられます。また一人の罪人が悔い改め、主に立ち返れば、天の御国で宴会を開き、熱烈に歓迎してくださいます。

祈り:主よ!この罪人をそれほどまでに尊く思ってくださり感謝します。私も主の御心を抱いて、羊たちを最後まで愛します。

一言:見つけるまで



2007年 05月 05日 (土)

ルカ15:11-32
放蕩息子のたとえ

Ⅰ.家を出た放蕩息子
 弟は自由を求めて父親の懐から離れて行きました。彼は自分の財産の分け前を持って、遠い国に行きました。しかし放蕩して湯水のように財産を使ってしまい、結局豚が食べるいなご豆すら食べられない身の上になりました。その時になって彼は豊かな父親のことを考えました。そして自分が父の前でひどい罪人であることを悟りました。彼は立ち上がって父のもとに帰り、自分の罪を告白しました。
Ⅱ.家にいる放蕩息子
 兄息子は朝早くから夜遅くまで熱心に働きました。父親の戒めを破ることなく、従いました。しかし彼は心に喜びがありませんでした。いつも不満が満ちていました。特に、財産を使い果たして戻って来た弟を受け入れることができず、その弟を受け入れた父親の心を知りませんでした。彼は息子ではなく奴隷であり、家にいる放蕩息子でした。
Ⅲ.父親の心
 父親は家を出た放蕩息子を心から待っていました。帰って来た時は、どんな姿で帰って来ても関係ありませんでした。むしろ喜びのあまり宴会を開きました。神様の愛はこのように深く広いものです。

祈り:主よ!私が神様の大きな愛を疑って、父のもとを離れて生きて来た罪を悔い改めます。私がありのままの姿で主の前に出て行きます。私を受け入れてください。

一言:まだ家までは遠かったのに、


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