聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2007]

2007年 05月 19日 (土)

ルカ20:1-18
イエス様を退けた者たちの最後

Ⅰ.イエス様の介入を願わない人々(1-8)
 当時、宗教指導者たちがイエス様のところに来て尋ねました。「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。あなたにその権威を授けたのはだれですか。それを言ってください。」彼らはイエス様が王としてエルサレムに入城されたこと、宮で商売する人々を追い出されたことを、認めませんでした。すなわち彼らはイエス様が彼らの人生に介入することを願わず、イエス様を退けました。彼らはヨハネの言葉も受け入れませんでした。彼らは自分勝手に生きたいと願っていました。
Ⅱ.彼らの最後(9-18)
 イエス様は彼らにぶどう園の農夫のたとえを話されました。そのたとえの核心は、主人が送ったしもべたちとついには子どもまで殺した農夫たちを、主人は打ち滅ぼし、ぶどう園を他の人に与えてしまうことです。このように神様は多くのしもべたちを殺しただけではなく、ついに御子であるイエス様を退けた者たちを必ず打ち滅ぼしてしまわれます(16)。
 イエス様は、家を建てる者たちの見捨てた石になりましたが、それが礎の石となりました。イエス様を退け敵対する者は、結局粉みじんに飛び散らされてしまいます(18)。イエス様に敵対する者の人生は破滅に至ります。私たちは神様の御子イエス様を心から受け入れ、その方が私たちの人生に介入することを受け入れなければなりません。

祈り:主よ!私が神様の御子イエス様が私の人生の中に介入されることを受け入れ、イエス様を愛します。

一言:イエス様を退けてはなりません。



2007年 05月 20日 (日)

ルカ20:19-26
カイザルのもの、神様のもの

Ⅰ.税金問題(19-22)
 彼らはイエス様をおだてながら(21)、カイザルに税金を納めることが合法か不法かを尋ねました。当時税金の問題はたいへん鋭敏な問題でした。熱血党員はローマに税金を納めることを拒否しました。もしイエス様が税金を納めよと言えば反逆者としての非難を受け、税金を納めるなと言えば、ローマ法によって逮捕されます。
Ⅱ.本来誰のものであるのか(23-26)
 イエス様は彼らのたくらみを見抜いて、デナリ銀貨を見せるように命じられました。そこにはカイザルの肖像と銘が刻まれていました。結局そのお金はカイザルから出たものです。それでイエス様は「カイザルのものはカイザルに返しなさい。」と言われました。人々は税金を納める時、自分が苦労してかせいだお金を納めると考えます。しかし税金とは本来カイザルのものはカイザルに返すことです。続けてイエス様は「神のものは神に返しなさい。」と言われます。私たちの命とすべての生活はどこから来たのでしょうか。私に与えられた時間と才能はどこから来たのでしょうか。神様から来ていて、私たちは管理人に過ぎません。私たちが神様に何かをささげる時には、神様のものを神様に返しているのです。私が持っているものが本来自分のものだと考えるので、惜しい気持ちが生じるのです。

祈り:主よ!私にあるすべてのものが本来神様のものであることを受け入れ、喜んで主にささげます。また税金もよく納めます。

一言:私にある全てのものが本来誰のものであるのか



2007年 05月 21日 (月)

ルカ20:27-44
生きている者の神様

Ⅰ.サドカイ人たちの質問(27-33)
 サドカイ人たちは復活を否定しようとする意図を持って、申命記25:5節の御言葉に基づいて、復活がある場合に起きる混乱について質問しました。七人の兄弟がいて、長男が妻をめとって死に子がなかった場合は、その妻は二番目の兄弟の妻となりますが、そのようにして七人がみなその妻をめとって、子どもがないまま死ねば、復活の時、一体誰の妻になるのでしょうか。
 しかしこれは現実的にはありえないことであり、復活を否定するために作り上げた話に過ぎません。彼らは復活を信じることができなかったため、考えにも限界があり、また悲惨な考えだけをしています。
Ⅱ.イエス様の答え(34-40)
 イエス様は彼らの無知を指摘されました。私たちがこの世では肉体の生活をしています。しかし復活すれば、天の御使いのようになり、霊的な生活をするようになります。
 サドカイ人たちは肉体的な考え方で真理を理解しようとして、未来の生活も現世の生活の延長であると誤解しました。これは彼らが聖書も神様も知らなかったからです。聖書によれば、神様は生ける者の神様です。神様の中では死んだ者はいません。この世で生きているのか、神様の御国で生きているのかの違いだけです。

祈り:主よ!私が愚かでおかしな考えをしていたことが多くあります。私の霊的な無知を悟らせてください。

一言:神様は生ける者の神様



2007年 05月 22日 (火)

ルカ20:45-21:4
やもめの献金を称賛されたイエス様

Ⅰ.上座を好む律法学者たち(20:45-47)
 イエス様は弟子たちに人々の前でうわべを飾る律法学者たちには気をつけるように警戒されました。彼らは上席を好み、人々からあいさつされることが好きです。彼らは長い衣をまとって敬虔なふりをします。しかし実際にはやもめの家を食いつぶし、人々を意識し、わざと長い祈りをする忌み嫌うべき者です。このような人々は神様を知らない人より、さらに重い罰を受けるようになります。
Ⅱ.やもめのレプタ銅貨(21:1-4)
 イエス様は、目を上げてご覧になると、人々が献金していました。金持ちは「そら見ろ」と言わんばかりに、多額の献金をしました。しかし貧しいやもめは恥ずかしい気持ちにたえてやっとレプタ銅貨二枚を投げ入れました。人々は、このやもめがわずか二枚のレプタ銅貨を入れたことを知れば、彼女を軽んじたことでしょう。ところがイエス様はこのやもめが誰よりも多くの献金をしたと賞賛されました。なぜなら彼女は乏しい中から持っていた生活費を全部投げ入れたからです。献金とは金額で評価できるものではありません。だからといって、自分のために使って残ったものをささげる姿勢ではいけません。やもめのように神様に自分の全てのものをささげる心で、特に自分の真心をささげなければなりません。献金は神様を礼拝する一つの方法です。それでその心の姿勢がもっと大切です。

祈り:主よ!私が人々に見せるうわべよりも、主がご覧になる心をもっと大切に思う成熟した信仰を持つように助けてください。

一言:人々により、主にもっと良く見せよう


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