聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2007]

2007年 05月 29日 (火)

ルカ23:1-25
判決が下ったイエス様

Ⅰ.ピラトの前に立ったイエス様(1-12)
 群衆は議会とは違い、政治的な理由でイエス様をピラトに訴えました。するとピラトはイエス様に「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」と尋ねました。イエス様は政治的な意味では王ではないので、これを否定すれば、死刑判決を免れることができました。しかしイエス様は霊的な意味で王だったので、「そのとおりです。」とお答えになりました。イエス様は生き残るために卑屈になりませんでした。むしろ裁判を受ける過程を通して、ご自分が王であり、キリストであることを、全ての人々に知らせようとしました。
Ⅱ.イエス様を十字架に引き渡したピラト(13-25)
 ピラトは総督として、人の生死をつかさどる権威がありました。彼は、イエス様に何の罪もないことを知っていました(4,14,15)。しかしこれは決して偶然なことではありません。キリスト・イエスは聖書に記されている通りに、罪人の一人として、私たちと同じ罪人の扱いを受けられたのです(イザ53:12)。
 十字架につけられたイエス様に向かって、人々はいろいろとののしりました。しかしイエス様は彼らのために祈られました。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」。イエス様が彼らの罪の赦しのために祈られたのは、ご自分が十字架で死なれることによって、彼らの罪と、そして全人類の罪を代わりに背負われたためでした(イザ53:4-6)。イエス様の十字架の死は私たちの罪を代わりに負ってくださる贖いの死です。

祈り:主よ!主が私の罪の代わりに十字架につけられた苦しみを受けられました。私が主の十字架を愛します。

一言:私の罪のために



2007年 05月 30日 (水)

ルカ23:39-56
イエス様の死

Ⅰ.救いを受けた犯罪人(36-43)
 一緒に十字架にかけられていた犯罪人の一人がイエス様を批判しましたが、もう一人は彼をたしなめました。彼は神様を恐れる心がありました。また自分の罪を深く悟り、自分が刑罰を受けているのは当然なことであるのを、よく知っていました。しかし彼はイエス様を救い主として信じ、イエス様の憐れみを求めました(42)。イエス様は彼の信仰をご覧になり、生涯罪を犯し、十字架刑を受けるようになった彼に、パラダイスを約束してくださいました。主は私たちがどんなに醜い罪人であっても、ご自分を信じれば、ご自分の子どもとして受け入れてくださいます。
Ⅱ.真二つに裂けた神殿の幕(44-56)
 イエス様が十字架につけられた時、十二時から三時間もの間、太陽が光を失って、全地が暗くなっていました。これはイエス様が世の全ての罪を負って、神様のさばきを受けておられたからです。
 それだけではなく、神殿の幕は真二つに裂けました。神殿の幕は、人が罪によって神様に出て行くことができないことを教えるものです。しかしイエス様の死によって、その神殿の幕は裂けました。イエス様が私たちの全ての罪を贖ってくださったので、今は誰でも神様に出て行き、たましいの自由と喜びを受け、聖なる生活をすることができます。

祈り:主よ!主の死が私の罪のためであることを受け入れます。私がただ信仰によって出て行くので、私を受け入れてください。

一言:私のような者のために


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