聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2017]

2017年 05月 28日 (日)

ルカ13:1-9(5)
悔い改めなければ滅びます

 ある人がぶどう園にいちじくの木を植え、後に実を取りに来ましたが、何も見つかりませんでした。彼は、三年もの間、毎年やって来ては実のなるのを待っていたのに、なったためしがないからと、その木を切り倒してしまうよう、ぶどう園の番人に言いました。しかし、ぶどう園の番人は自分が木の回りを掘って、肥しをやってみますからもう一度機会をくださいとお願いしました。ぶどう園の番人であるイエス様は、実っていないイスラエルの民を最後まであきらめませんでした。しかし、その機会がいつまでも与えられるのではありません。必ず審判の時が来ます。その時までに実を結ぶことが出来なければ切り倒され、捨てられてしまいます。

適用:災難を受ける人たちを見た時、どうするべきでしょうか

一言:悔い改め



2017年 05月 29日 (月)

ルカ13:10-17(12)
あなたの病気はいやされました

 会堂管理者は、イエス様が安息日にいやされたのを見て憤ってしまいました。安息日に人を癒したということで憤っていたのです。イエス様は彼に「偽善者だ」と叱られました。当時のユダヤ人たちは、安息日であっても自分の牛やろばを小屋からほどき、水を飲ませに連れて行きました。獣に関連することには、安息日の規定を寛大に適用していたのです。家畜に水を飲ませることや家畜を穴から救い出すことを安息日にも許していました。それなのに人に対してはとても厳格に適用しました。安息日に牛やろばを束縛から解いてやることが許されるなら、十八年もの間サタンが縛っていたこのアブラハムの娘を安息日に解いてあげるのは当たり前です。家畜は助けておきながら家畜とは比較のできないほど貴い女性を助けないことこそ偽善です。

適用:曲がっている問題がありますか

一言:あなたの病気はいやされました



2017年 05月 30日 (火)

ルカ13:18-21(21)
全体がふくれるパン種のようなものです

 また、神の国はまるで女が粉の三サトンを混ぜたところ、全体がふくれたパン種のようなものでもあります。粉三サトンは約40リトルで、100人ほどが食べても余るほどの量です。こんなに多くの粉を膨らませるのに必要なパン種は、ほんの一スプーンほどです。パン種は私たちの目にはよく見えませんが、三サトンの粉を一晩の間で全部膨れさせるほどの力を持っているのです。ひとりの心に植えられた神の国は目に見えません。しかし、パン種のように一人の人の存在と人格、そして人生の全体を変えます。さらに、国々の大学生たちと全世界を変化させる力を持っています。
 腰が曲がっていた女性に臨まれた神の国はとても小さく見えます。しかし、その国はからし種とパン種のように大きく成長し、大きな影響を及ぼすようになります。腰の曲がっているような人の心に神の国を植える1:1聖書勉強はとても小さく微々たるものです。しかし、それこそ大学と社会全体を変化させる強い力を持っています。

適用:神の国はどれほど大きな力を持っていますか

一言:全体が膨れます



2017年 05月 31日 (水)

ルカ13:22-30(24)
努力して狭い門から入りなさい

 狭い門から入るというのは、イエス様に従う生活です。自分を捨て、自分の十字架を負って使命を担う生活です。人々はできるなら広くて楽な道に進もうとします。しかし、救いとは決して簡単に得られるものではありません。ユダヤ人だからと言って自然に救われるのでもありません。努力して狭い門から入ることなのです。なぜそのようにしなければなりませんか。天国の門に入ろうとしても入れなくなる人が多いからです。
一度、天国の門が閉じられると、いくら門をたたいても開かれません。主と一緒に、食べたり飲んだりしていたし、大通りで教えていただいたと言ってもできません。主はそんな者たちを知らないと言われます。彼らは外に投げ出されることになったとき、そこで泣き叫んだり、歯ぎしりしたりするのです。一方、東からも西からも、また南からも北からも来て、神の国で食卓に着く人々がいます。彼らはユダヤ人ではありませんが努力して狭い門から入る人たちです。
私たちはユダヤ人たちのように先頭に立っていることを自慢しているだけでは天国に入れなくなる場合があります。今しんがりの者が先頭になる場合もあります。

適用:救われることを望んでいますか

一言:狭い門から入りなさい



2017年 07月 14日 (金)

ルカ 13: 31-35(33)
わたしは進んで行かなければなりません

 イエス様のように使命人の人生を生きようとする時、ヘロデのような世の権力や時代の風潮が脅威となる場合があります。そんな時に、イエス様のように 『わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません。なぜなら、預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです』と堂々と言えるように祈ります。イエス様はご自身の安全より、福音を受け入れないイスラエルの頑なな態度を悲しまれました。また、イエス様の愛を拒絶した彼らを待ち受けている審判のことで嘆かれました。

適用:主の道を行こうとする時、障害物がありますか

一言:進んで行かなければなりません


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