聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[2008]

2008年 04月 30日 (水)

ヨハネノ福音書1:1-18
この方にいのちがあった

 万物の初めに御言葉がありました。この御言葉は神様です。この御言葉は、人となって私たちの間に住まわれたイエス様を指します(14)。それでイエス様は単なる偉大な人間ではありません。イエス様は初めにおられた神様です。このイエス様によって万物は造られました。イエス様は万物のみなもとであり、全てのいのちのみなもとです。それでこのイエス様の中にいのちがあります。このいのちはただのいのちではありません。このいのちは霊的ないのちです。また生命力が満ち溢れる本当のいのちであり、永遠の命です。誰でもこのイエス様を信じる時、いのちを得ます。凍りついた大地を割って芽生える新芽のような、生命力が満ち溢れる新しい人生を生きることができます。自分の条件と環境がどうであれ、喜びと満足のある人生を生きることができます。何より永遠のいのちを得ます。またこのいのちは人々の光です。イエス様の光が臨む時、私たちは人生のさまざまな苦しみから救いを得ます。光の人生を生き、神様の子どもになる特権を得ます。
 イエス様は神様ですが、いのちの光をくださるために、人として私たちの中に来られました。罪によっていのちを失い、やみの中で生活している私たちに訪ねて来られ、最も低くなって訪ねて来られました。そしてイエス様は生涯蔑視と嘲笑を受けられました。徹底的にご自分を差し出されました。後には、十字架でご自分のいのちまでも差し出されることで、私たちにいのちと光をくださいました。このイエス様の中に恵みとまことが満ちています。

祈り:主よ!いのちと光として来られたことを感謝します。私が心を開いて、このイエス様を受け入れるので、いのちとなってください。

一言:いのちの光イエス様



2008年 05月 01日 (木)

ヨハネノ福音書1:19-34
神の小羊

 バプテスマのヨハネはまことの光であるイエス様を証しする者として来ました。人々は、「もしかすると彼がキリストではないのか」と思って尋ねました。「あなたはどなたですか。」その時、バプテスマのヨハネは自分がキリストではないことをはっきりと明かしました。彼は預言者イザヤが言ったように、「主の道をまっすぐにせよ。」と荒野で叫んでいる者の声に過ぎませんでした。声は意思を伝達して消え行く存在です。人気と名誉を捨てることは容易なことではありません。しかし彼は自分の名前と栄光を現すことを徹底的に放棄しました。イエス様が誰であるのか、よく知っていたからです。イエス様について、よく知っているなら、私たちは謙遜にイエス様だけを証しすることができます。
 ヨハネはイエス様をどんな方として証ししましたか。彼はイエス様を見て叫びました。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」世の罪はイエス様を神様として受け入れないことです。人には多くの問題がありますが、最も根本的な問題はまさにそれです。人々が苦しみさまよくのはイエス様を受け入れないからです。また人々はこの問題を解決するためにいろいろと苦労をします。ところがイエス様が世の罪を取り除く神の小羊として来られました。購いのそなえものとなり、十字架につけられて死なれました。それでイエス様は世の罪に対する代価をすべて支払いました。自分の罪ととがだけを見ると、私たちは苦しむだけです。しかし目を上げて神の小羊であるイエス様を見る時、いのちを得ます。

祈り:主よ!私が、主が世の罪を取り除かれることを信じることで、永遠のいのちを得る者になるように、助けてください。

一言:見よ、神の小羊!



2008年 05月 02日 (金)

ヨハネノ福音書1:35-51
来なさい

 バプテスマのヨハネは、自分の二人の弟子にもイエス様を証ししました。その証しを聞いた二人の弟子がイエス様を尋ねて行きました。彼らは証しを聞いただけでは満足せずに、もっとイエス様を知ろうとしました。イエス様は彼らを「来なさい。」と招かれました。この御言葉は、来て直接体験してみなさい、と言う意味です。イエス様は、彼らに直接来て、主の御言葉を聞いて、体験してみなさい、と言われました。人格的な交わりをしようと招かれました。イエス様の招きを受けた二人の弟子はその日一緒に過ごしました。そしてアンデレはイエス様をメシヤとして出会いました。メシヤは私たちを罪から救い、いのちをくださるキリストです。彼はイエス様と共にいることで、驚くべき祝福を受けました。誰でもイエス様と人格的な交わりをする時、メシヤに出会い、永遠のいのちを受けます。
 更に進んで、イエス様を証しする生活をするようになります。イエス様をメシヤとして出会ったアンデレはシモンをイエス様のところに連れて来ました。イエス様は彼に「あなたをケパと呼ぶことにします。」と言われました。「ケパ」は「岩」という意味です。イエス様は彼に救いの御業において岩になる望みを置かれました。次の日にイエス様はピリポに出会い、「わたしに従って来なさい。」と言われました。彼もイエス様に出会った後、友だちのナタナエルをイエス様のところに導きました。ナタナエルはイエス様と人格的な関係性を結んだ後、イスラエルの王であると告白しました。「イスラエルの王」も「メシヤ」を指します。誰でもイエス様に出会って交わるなら、メシヤとして告白し、証しするようになります。

祈り:主よ!私が続けてイエス様について行く中で、更に深く体験し、主を証しする者になるように助けてください。

一言:来なさい


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