聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[2008]

2008年 05月 08日 (木)

ヨハネノ福音書4:1-15
永遠のいのちへの水

 イエス様はガリラヤに行く途中、サマリヤのスカルという町の井戸のかたわらに着きました。時は中東の太陽が暑く照りつける正午でした。イエス様はひどく疲れ、そのまま座り込みました。その時、ひとりの女がみんなが休む時間に、一人で水をくみにやって来ました。この女は過去が複雑でした。複雑な過去であるだけに、女は疲れ果てた人生を生きて来ました。彼女はたましいが渇いた女性でした。イエス様はこの女に言われました。「わたしに水を飲ませてください。」イエス様は女を憐れまれ、まずやさしく話しかけられました。イエス様が会話の戸をまず開かれました。
 女はこのイエス様を誤解し、反発しました。しかしイエス様は神様の賜物と生ける水を話され、女を助けられました。女がくもうとしているヤコブの井戸と、イエス様が与えようとされる永遠のいのちへの泉の水を比較して、話されました。暑い日に、冷たいヤコブの井戸水はのどの渇きを解消してくれます。しかしその時だけです。すぐにまた渇きます。しかしイエス様が与える永遠のいのちの泉の水を飲む者は、永遠に渇きません。この泉の水は永遠にわきでます。この永遠のいのちの泉の水は、すなわちイエス様です。イエス様は私たちに世のどんなヤコブの井戸水も与えることもできない本当の満足をくださいます。たましいの渇きを解消してくださいます。永遠に渇くことなく、私たちに永遠のいのちをくださいます。イエス様は、ヤコブの井戸のかたわらをさまよう私たちに、永遠のいのちの泉の水を与えるために、来られました。

祈り:主よ!私がヤコブの井戸のかたわらをさまよわずに、イエス様に出て行き、永遠のいのちの泉の水を飲むように、助けてください。

一言:永遠のいのちの泉の水を飲みなさい



2008年 05月 09日 (金)

ヨハネノ福音書4:16-30
わたしがそれです

 イエス様は女に永遠に湧き出る泉の水を約束されました。女はイエス様にその水をくださいと頼みました。するとイエス様は女に言われました。女は今までたましいの渇きを良い夫に出会うことで解消しようとしました。夫は女のヤコブの井戸水でした。女は夫を五回も代えながらさまよいましたが、満足を得ることができませんでした。残ったのは傷だけでした。彼女が永遠のいのちの泉の水を得るためには、夫の問題を持ってイエス様に出て行かなければなりません。悔い改めなければなりません。人々は、お金と名誉で、安逸と快楽で満足を得ようと、さまよいます。そうして疲れて罪を犯します。私たちが永遠のいのちの泉の水を得るためには、このようなものをイエス様の前に解き放たなければなりません。そして悔い改める時、永遠のいのちの泉の水を得ます。
 女はそれまで夫に愛と真心をささげ、礼拝しました。しかし満足を得ることができませんでした。女は今本当の礼拝をささげたいと思いました。イエス様は女に神様だけが本当の礼拝の対象であることを教えられます。神様は今も霊とまことによって礼拝する人を探しておられます。女も礼拝の対象を探しました。ところがまさにイエス様がその方です。「わたしがそれです。」イエス様は女が探していた本当の夫であり、メシヤです。メシヤに出会った女は喜びのあまり、水がめを置いて町に行き、イエス様を伝えました。「来て、見てください。この方がキリストなのでしょうか。」永遠のいのちの泉の水を飲んだ者はその人生が変わります。

祈り:主よ!私は、主だけが本当の礼拝の対象であることを信じ、この主を証しする者になるように、助けてください。

一言:わたしがそれです



2008年 05月 10日 (土)

ヨハネノ福音書4:31-38
目を上げて畑を見なさい

 イエス様が女を助けている間、食物を買いに行った弟子たちが帰って来ました。弟子たちはイエス様に買って来た食物を食べるように勧めました。ところがイエス様は言われました。「わたしには、あなたがたの知らない食物があります。」イエス様の食物は神様の御旨を行なって、神様に任されたことを完全に成し遂げることです。それはさまようたましいを助けることです。イエス様は、ヤコブの井戸のかたわらをさまよい疲れ果てた女を助けることで、山海珍味より優れた食物を召し上がられました。さらに大きな満足と力を得ました。私たちも疲れ果てたたましいを助ける時、世のどんな食物よりも得ることができない満足と力を得ます。
 サマリヤの女の証で多くの人がイエス様のところに出て来ました。弟子たちはサマリヤに福音の御業が起こるためには、もう少し時を待たなければならないと思いました。彼らの心には、サマリヤは福音の御業が起こるのに難しい所だという固定観念がありました。しかしイエス様はサマリヤの女一人の変化を通して、多くの人が出て来るのをご覧になりました。これを通して、イエス様はサマリヤの福音の御業は色づいて刈り入れるばかりになっているビジョンと確信を持たれました。ところが収穫の働き人である弟子たちは、日常生活に縛られていました。また環境のせいばかりしていました。イエス様は心を痛めて言われました。「目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。」イエス様の目でご覧になる時、私たちのキャンパスもまた、色づいて、刈り入れるばかりになっています。

祈り:主よ!私が目を上げて、色づいて、刈り入れるばかりになっているキャンパスを見せてくださり、出て行き、収穫する働き人になるように、助けてください。

一言:目を上げなさい



2008年 05月 11日 (日)

ヨハネノ福音書4:39-54
ことばを信じて帰途についた

 サマリヤ人たちは女の証を聞いて、イエス様を信じるようになりました。彼らはそれに満足せずに、イエス様を招いて二日間滞在し、御言葉を聞きました。するとイエス様の御言葉によって信じた者がさらに多くなりました。彼らは、イエス様が本当に世の救い主であることを知るようになりました。彼らは人格的な信仰を持つようになりました。伝道者の証を通して、私たちはイエス様に関心を持つようになりました。しかしそこにとどまらず、御言葉の学びを通して、直接イエス様を御言葉を聞かなければなりません。その時、イエス様を世の救い主として出会う喜びと感激を受けるようになります。
 イエス様がガリラヤのカナに着いた時、王室の役人が病気で死にかけた息子を治して欲しいと、求めました。イエス様は冷たく拒絶されました。役人は落胆したり、心が傷つきやすい状態でした。しかし役人は放棄せずに、最後までイエス様に恵みを求めました。それでイエス様は命じられました。「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」この御言葉だけを信じて帰って行くことは容易なことではありません。何かしるしでも見せて欲しいという考えが生じます。しかし王室の役人は、イエス様が言われた御言葉を単純に信じて行きました。ところが帰って行く途中、しもべたちが来て、子どもたちが直ったという知らせを伝えました。その時間を尋ねると、イエス様が言われた時でした。これを境にして、彼とその家はみなイエス様を信じました。御言葉だけを単純に信じ、聞き従う信仰が死んで行くいのちを生かします。私たちに御言葉を信じる信仰があれば、キャンパスのたましいを生かすことができます。

祈り:主よ!私が御言葉を単純に信じ、従って、いのちが生き返ることに、用いられる者になるように、助けてください。

一言:御言葉を信じて行くと


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