聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[2008]

2008年 05月 25日 (日)

ヨハネノ福音書5:1-15
起きて歩きなさい

 ベテスダの池の周りには多くの病人で満ちていました。彼らはみな伏せっていて、水が動くのを待っていました。なぜなら天のみ使いが時々降りて来て、水を動かしますが、動いた後まず入る者がどんな病気であっても治るからでした。彼らは約束のない「大船」を仰ぎ見ていました。そこには三十八年もの間、病気にかかっている人がいました。イエス様は彼が伏せっているのを見て、それがもう長い間のことなのを知っていました。イエス様は彼に尋ねられました。「よくなりたいか。」イエス様は彼の心の中に治りたい望みと信仰を植えようとされます。
 しかしこの病人は、自分がまだ治らない問題を、助ける人がいない問題として分析しました。彼は自ら運命を開拓し切り開いて行く勝利者になることができませんでした。イエス様はこの人をどのように助けられますか。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」イエス様は「助ける人がいればいい」というその人に、「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」と言われます。この御言葉は「私はあなたをすでに治したので、私を信じて起きて歩きなさい」という意味です。病はベテスダの水が治せません。イエス様が治療されます。いくら長く患っている病であっても、イエス様は治療されます。このイエス様だけが私たちの本当の望みです。人々はどこで人生の長い病を癒そうとするのでしょうか。何の保証もない奇跡を待っているうちに、熾烈な生存競争に疲れ、疲れ、その傷だけが深くなって行きます。本当の望みであるイエス様に出て行かなければなりません。イエス様だけが私たちを助けてくださいます。

祈り:主よ!私が漠然とした奇跡だけを望んで時間を浪費せずに、主に出て行き信仰によって歩む者になるように助けてください。

一言:起きなさい、床を取り上げて歩きなさい



2008年 05月 26日 (月)

ヨハネノ福音書5:16-29
聞く者は生きるのです

 イエス様は安息日に病人を治したという理由で、ユダヤ人たちから迫害を受けるようになりました。イエス様は彼らに、安息日にも働いた理由を話されました。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。」神様は、人類が堕落した後に少しも休まずに、救いの御業を成して来られました。それでイエス様もこの神様の御業に同労し、安息日にもいのちを生かすことをされたのです。イエス様には神様がなされる御業に参加されるというはっきりとした心と哲学がありました。何よりそのことはどんなものよりも尊いいのちを生かすことです。いのちを生かすことはいつでも休むことができません。私たちもこのイエス様を見習って、神様の御業に参加して、熱心にいのちを生かす働きをしなければなりません。
 イエス様は自ら働かれるのではなく、父のなされるのを見て行なわれます。神様が死んだ者たちを立たせ、生かすように、イエス様もご自分が望まれる人々を生かす権威を持っておられます。神様はこのイエス様にさばく権威をゆだねられました。それでこのイエス様の御声を聞く者は永遠のいのちを得ます。さばきに合いません。死を味合わずに、いのちに移されるようになります。どんな罪で死んだ者であっても、神様の御子、イエス様も御声を聞く者は生きます(25)。しかし聞かない者は死の世界から抜け出すことができません。それで私たちは自分の現状を嘆いたり、人の助けに頼ろうとすることよりは、まずイエス様の御声を聞かなければなりません。

祈り:主よ!私が今御言葉を聞いて生き返り、いのちを生かす御業に力を入れるように助けてください。

一言:聞く者は生きる



2008年 05月 27日 (火)

ヨハネノ福音書5:30-47
イエス様についての証言

 イエス様は神様の御子として、神様から遣わされました。それに対する証言は真実であり、はっきりしています。イエス様はご自分についての真実な証言を話されます。第一に、バプテスマのヨハネの証言があります(33-35)。ヨハネは燃えて輝くともしびとして、イエス様をまことの光であり、真理として証言しました。第二に、イエス様が行なわれた力ある御業がイエス様を証しします(36)。イエス様が行なわれた働きそのものは、イエス様が神様から遣わされた方であることを現す確実な証言になります。第三に、父なる神様が証言されます(37-38)。イエス様がバプテスマを受けられた時、神様がイエス様を愛する子と認められました。第四に、聖書がイエス様を証しています(39)。旧約聖書は一貫して証言することは、イエス・キリストについてです。イエス様が神様の御子であるという証言は誰でも否定することができない真実なものです。
 それでも人々は永遠のいのちを得るためにイエス様に行きませんでした。彼らがイエス様を信じない理由は何ですか。それは人々が神様を愛さないからです。また神様の栄光を求めるより、自分の栄光を求めるからです。彼らは熱心に聖書を調べています。しかし彼らはモーセの書、すなわち聖書を信じることができません。イエス様を神様の御子として信じないことは知識の問題ではなく、信仰の問題です。ですから私たちが永遠のいのちをえるためには、神様を愛さなければなりません。自分の栄光を求める傲慢を悔い改め、謙遜に御言葉を受け入れなければなりません。

祈り:主よ!私が全ての証言が真実であるイエス様を信じて、永遠のいのちを得たので、この主を証しする者になるように助けてください。

一言:イエス様に対する証言は真実だ


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