聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[2012]

2012年 04月 18日 (水)

ヨハネ1:1-18
この方にいのちがあった

Ⅰ.いのちの光イエス様(1-13)
 全ての万物が存在する前に、「ことば」がありました。この「ことば」は神様です。この「ことば」は、人となって私たちの間に住まわれたイエス様を指します(14)。それでイエス様は偉大な人ではなく、初めからおられた神様です。このイエス様によって、全てのものが造られました(コロ1:16)。このイエス様は万物の起源であり、すべてのいのちの源です。それでこのイエス様の中にいのちがあります。このいのちは、「生命」ではなく、霊的ないのちです。真のいのちであり、永遠のいのちです。イエス様のいのちが私たちの中にあるなら、私たちは生命力に満ち溢れた人生を生きることができます。自分の条件と環境がどうであれ、喜びと満足ある人生を生き、幸福を享受することができます。また、このいのちは人々の光です。イエス様の光が照らされる時、私たちは人生のさまざまな闇から救われ、光である人生を生きることができます。また、神様の子どもとされる特権が与えられます(12)。
Ⅱ.人となって来られたイエス様(14-18)
 イエス様は神様ですが、いのちの光を照らされるために、人となって、私たちの間に住まわれました。罪によっていのちを失い、闇の中に生きている私たちに訪ねて来られ、最も低い御姿にまでなられました。そして生涯、蔑視と嘲笑を受けられ、後には十字架でご自分のいのちをお捨てになることで、私たちにいのちと光をくださいました。このイエス様の中には、恵みと真理が満ちています。

祈り:主よ!いのちと光で来られたイエス様に感謝します。私は心を開いて主を受け入れます。私のいのちになってください。

一言:いのちの光イエス様



2012年 04月 19日 (木)

ヨハネ1:19-34
神の小羊、イエス様

Ⅰ.荒野で叫んでいる者の声(19-28)
 バプテスマのヨハネは、真の光であるイエス様を証しする者として、来ました。ところが人々は、「もしかしたらキリストではないか」と考え、調査団まで派遣しました。しかしバプテスマのヨハネは、自分はキリストではない、とはっきりと言明しました。彼は、「自分は、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよ。』と荒野で叫んでいる者の声です。」と言いました。彼は水でバプテスマを授けていますが、イエス様は聖霊によってバプテスマを授ける方として紹介しました。人気と名誉を否定することは容易なことではありません。しかしバプテスマのヨハネのように、イエス様についてよく知っているなら、私たちは謙遜にイエス様について証しすることができます。正しい証言者になることができます。
Ⅱ.神の小羊(29-34)
 バプテスマのヨハネはイエス様を見て叫びました。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」(29)。世の中には、多くの問題がありますが、その中で最も根本となる問題は罪の問題です。人々は自分の問題を解決するために重荷を背負って、苦しみ、さまよいます。しかし罪の問題は神様との関係性の問題なので、どんな人の方法でも解決することができません。ところがイエス様は世の罪を取り除く神の小羊として来られました。イエス様は小羊として和解のいけにえになって、十字架につけられて死なれました。それでイエス様は、世の全ての問題を贖ういけにえになりました。私たちは、自分の罪と咎よりも、このイエス様を仰ぎ見る時に、救いを受けることができます。

祈り:主よ!主が私の全ての罪を背負って行かれたことに感謝します。私は自分よりも、この主を仰ぎ見るので、救ってください。

一言:神の小羊を見よ



2012年 04月 20日 (金)

ヨハネ1:35-51
来なさい

Ⅰ.来なさい(35-41)
 バプテスマのヨハネの証しを聞いた二人の弟子がイエス様について行きました。彼らはバプテスマのヨハネの証しに満足せず、直接イエス様を知ろうとしました。イエス様は彼らに「来なさい。」と言って招かれました。これは、来て直接体験してみなさい、という意味です。イエス様は、彼らが直接来て、主の御言葉を聞いて、体験して見ることを願われます。イエス様と人格的な交わりを持つことを願われます。イエス様に招かれた二人の弟子は、その日共に過ごしました。その時、アンデレはイエス様を「メシヤ」として出会いました。このように、短い時間でも、イエス様と人格的な交わりをするなら、メシヤであるイエス様を体験することができます。
Ⅱ.それよりもさらに大きなことを見る(42-51)
 イエス様に会ったアンデレはシモンをイエス様の所に連れて行きました。イエス様は彼をご覧になり、「ケパと呼ぶことにします。」と言われました。ケパは「岩」という意味です。イエス様は、彼が人類救いの御業の基盤になる、望みを置かれました。次の日、イエス様はピリポを見つけて「わたしに従って来なさい。」と言われました。彼も、イエス様が聖書に記されているメシヤであることが分かると、友だちのナタナエルをイエス様のもとに、導きました。ナタナエルは、自分のことをよく知っておられるイエス様を、メシヤだと告白しました。イエス様は彼に、「それよりもさらに大きなことを見ることになります。」と言われました。私たちが続けてイエス様について行くなら、さらに深くイエス様のことを知るようになり、天の御国の霊的な世界までも見るようになります。

祈り:主よ!私を招いてくださり感謝します。私が続けて主について行くことで、主をメシヤとして会い、さらに深く知るように助けてください。

一言:来なさい


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