聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[2012]

2012年 04月 26日 (木)

ヨハネ4:1-15
永遠のいのちへの水

Ⅰ.わたしに水を飲ませてください(1-9)
 イエス様はユダヤを去ってガリラヤへ行かれましたが、サマリヤのスカルという町に着きました。時は、中東の太陽が灼熱する正午でした。イエス様はひどく疲れていたので、井戸のかたわらにそのまま腰をおろしておられました。その時、一人の女が、暑さのために全ての人が休んでいる時間に、一人で水をくみにやって来ました。この女の過去は複雑でした。過去が複雑なだけに女は疲れ果てた生活をしていました。また、人々から疎外された孤独な生活をしていました。イエス様はこの女に言われました。「わたしに水を飲ませてください。」イエス様は女を憐れまれ、まずやさしいことばで話しかけられ、対話の門を開こうとされました。
Ⅱ.わたしが与える水は(10-15)
 女は、「水を飲ませてください」と言われたイエス様を誤解し反発しました。しかしイエス様は、神様の賜物と泉を話され、女を助けられました。イエス様は、女がくもうとするヤコブの井戸と、イエス様が与えようとされる永遠のいのちの泉を比較しながら、話されました。女がくもうとしているヤコブの井戸水は渇きを解消してくれるようですが、その時だけです。また、渇きます。しかしイエス様がお与えになる永遠のいのちの水を飲む者は永遠に渇くことがありません。この永遠のいのちの水はイエス様です。イエス様が私たちの中におられるなら、私たちは永遠に渇くことのない本当の満足と喜びを得ます。イエス様は、ヤコブの井戸のそばでさまよう私たちに、永遠のいのちの泉の水を与えるために、来られました。

祈り:主よ!私がヤコブの井戸のそばでさまよわずに、イエス様の所に出て行って、永遠のいのちの泉の水を飲むように助けてください。

一言:永遠のいのちへの水



2012年 04月 27日 (金)

ヨハネ4:16-30
このわたしがそれです

Ⅰ.行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい(16-19)
 イエス様はサマリヤの女に、「永遠のいのちへの水をくださる」と言われると、女はそれをくださいと求めました。するとイエス様は、突然女に、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」と言われました。女は今までたましいの渇きを、良い夫に巡り合うことで解消しようとしました。女は夫を五回も変えながら満足を得ようとしましたが、得ることができませんでした。そうしている間、女は疲れ果て、多くの傷を受けました。女が永遠のいのちの水を得るためには、今、夫の問題をイエス様のところに持って行って、悔い改めなければなりません。女のように、人々はお金で、あるいは肉体の快楽によって、たましいの満足を得ようとさまよいますが、疲れ果て、罪だけを犯します。私たちが永遠のいのちへの水を得るためには、世のもので満足を得ようとしていた生活から立ち返り、罪を悔い改め、イエス様のところに出て行かなければなりません。
Ⅱ.このわたしがそれです(20-30)
 女は、今まで夫に、自分の真心と愛をささげて礼拝していました。しかし満足が得られませんでした。女は今、真の礼拝をささげたい、と思っていました。イエス様は彼女に、神様だけが真の礼拝の対象であり、神様は今もまごころと霊とを持って礼拝をささげる人を捜しておられる、という望みを与えられました。そしてまさに自分が、女がそれほどまでに捜していた真の夫であり、メシヤであることを現わされました。「このわたしがそれです。」メシヤに出会った女は、喜びのあまり、水がめを置いて町に行き、イエス様を証ししました。「来て、見てください。この方がキリストなのでしょうか。」

祈り:主よ!主だけが私の真の夫であり、真の礼拝の対象です。私がまごころと霊とを持って、主だけに礼拝を捧げることができるように、助けてください。

一言:このわたしがそれです



2012年 04月 28日 (土)

ヨハネ4:31-38
目を上げて畑を見なさい

Ⅰ.イエス様の食物(31-34)
 イエス様がヤコブの井戸のそばでサマリヤの女を助けている間、食物を求めて行った弟子たちが戻って来ました。弟子たちはイエス様に持って来た食物を食べるように勧めました。ところがイエス様は言われました。「わたしには、あなたがたの知らない食物があります。」イエス様の食物は、神様の御心を行ない、その御業を成し遂げることでした。その時、イエス様はごちそうを召しあがることよりも、さらに大きな満足と力を得られました。食物をよく食べるなら気分が良く、力も湧いて出ます。しかし肉の食物はその時だけです。ところが私たちが神様の御業を行ない、その御業を成し遂げる時、私たちのたましいには、世の中のどんな食物でも得ることのできない満足と力が生じます。
Ⅱ.イエス様のビジョン(35-38)
 サマリヤの女の証しで多くの人々がイエス様のところに出て来ました。弟子たちは、サマリヤに福音の御業が起こるためには、もう少し時を待たなければならない、と思っていました。彼らの心には「サマリヤは福音の御業が起こるのは難しい」という固定観念がありました。しかしイエス様は、一人のサマリヤの女の変化を通して、多くの人が出て来るのをご覧になりました。それを通して、イエス様は、サマリヤの福音の御業は色づいて、刈り入れ時になっているビジョンと確信を持たれました。「目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。」(35)。イエス様は、私たちが目を上げて、刈り入れの働き人を待っているキャンパスと世界を仰ぎ見ることを、願われます。

祈り:主よ!私が自分と現実だけを見ていましたが、目を上げて色づいて刈り入れるばかりになっているこの国と全世界のキャンパスを見るように、助けてください。

一言:目を上げて畑を見なさい



2012年 04月 29日 (日)

ヨハネ4:39-54
御言葉を聞いて信じるようになった人々

Ⅰ.サマリヤの人々の信仰(39-42)
 サマリヤの人々は女の証しを聞いて、イエス様を信じるようになりました。彼らはそれで満足せずに、イエス様に頼んで二日間一緒に滞在し、御言葉を聞きました。するとイエス様の御言葉によって、信じる者がさらに多くなりました。彼らは、イエス様が真の世の救い主であることを知るようになりました。彼らは人格的な信仰を持つようになりました。
 伝道者の証しを通して、私たちはイエス様に関心を持つようになります。しかしそこにとどまらずに、聖書勉強を通して、直接イエス様の御言葉を聞かなければなりません。その時、イエス様を世の救い主をして出会う喜びと感激を受けるようになります(ロマ10:17)。
Ⅱ.王室の役人の信仰(43-54)
 イエス様がガリラヤのカナに行かれた時、王室の役人が、病気で死にかかっている息子をいやしてくださるように、お願いしました。イエス様は冷淡に拒まれました。しかし役人は放棄せずに、最後までイエス様に恵みを求めました。するとイエス様は命じられました。「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」この御言葉だけを信じて、帰って行くことは容易なことではありませんでした。しかし王室の役人は、イエス様が言われた御言葉を、単純に信じて帰って行きました。ところが帰って行く途中、しもべたちが来て、「息子が生き返った。」という知らせを伝えました。時間を尋ねると、イエス様が話された時でした。これを契機に、彼自身と彼の家の者がみなイエス様を信じました。御言葉だけを単純に信じて従う信仰が、病んだ息子を生き返らせ、彼とその家が信仰を持つように変えました。

祈り:主よ!私が御言葉を単純に信じて、従うように助けてください。

一言:イエスが言われたことばを信じて、帰途についた


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