聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[2012]

2012年 05月 03日 (木)

ヨハネ6:1-15
アンデレの信仰を祝福されたイエス様

Ⅰ.ピリポをためされたイエス様(1-7)
 イエス様がガリラヤの湖の向こう岸に行かれた時、大勢の群衆が集まって来ました。イエス様は、貧困と病に苦しむ羊たちをご覧になり、羊飼いのいない羊のように思われ、憐れまれました。その時、イエス様はご自分が何をしようとされるのかを知っていましたが、ピリポをためされました。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」(5)。するとピリポは、一人一人に少しづつ分け与えるにしても、二百デナリのパンでも足りない、と言いました(7)。ピリポの計算は早くて正確でした。しかしピリポは信仰がなくて、否定的な結論を出すしかありませんでした。彼はイエス様の試験に不合格でした。イエス様の弟子はどんな状況の中でも、羊たちに対する牧者の心情と信仰を持っていなければなりません。
Ⅱ.アンデレの信仰を祝福されたイエス様(8-15)
 その時アンデレは、群衆を食べさせようとされるイエス様の心を知り、少年が持って来た五つのパンと二匹の魚をイエス様のところに持って行きました。アンデレ自身も、それが多くの群衆の前では本当に取るに足りないものであることを知っていました。しかしそれは、お腹をすかせた群衆を何とかして食べさせようとする彼の信仰と、気持ちが込められたものでした。イエス様は、アンデレが持って来た五つのパンと二匹の魚を祝福され、五千人をお腹いっぱい食べさせ、パンくずが十二かごに一杯になるまで、豊かなものにされました。イエス様は、私たちがささげる五つのパンと二匹の魚を大変喜ばれます。これに基づいて、イエス様は大きな御業を行なうことができます。私たちがすることは、心と信仰のパンと魚を主に持って行くことです。

祈り:主よ!私に信仰がないことを悔い改めます。私が真心の五つのパンと二匹の魚を持って行きますので、受け取って力ある業を成し遂げてください。

一言:心と信仰のパンと魚を持って行こう



2012年 05月 04日 (金)

ヨハネ6:16-21
わたしだ、恐れることはない

Ⅰ.恐れる弟子たち(16-19)
 弟子たちは、五千人もの群衆に仕え、ひどく疲れたからだで舟に乗りました。イエス様は五千人を食べさせた後、ご自分を王にしようとする群衆を避けて、山に行かれました。弟子たちが湖の向こう岸、カペナウムに向かっていましたが、日は暮れ、暗くなっていました。ところが突然、強風が吹いて、波が起こると、弟子たちは心も揺れ動き始めました。弟子たちが力をふりしぼって、四、五キロメートルほどこぎ出した時、イエス様は湖の上を悠々と歩いて、舟に近づいて来られました。すると弟子たちは、幽霊だと思い、さらに恐れおののきました。
Ⅱ.わたしだ、恐れることはない(20,21)
 イエス様は、恐怖にとらわれていた弟子たちに言われました。「わたしだ。恐れることはない。」それで弟子たちは大変喜んで、イエス様を舟にお迎えしました。すると嵐はやみました。
 私たちの人生は航海に似ています。暗い夜のような時を過ごすこともあり、嵐のような予期しなかった混乱と試練を受けることもあります。絶望的になり、嵐が迫り来る時、私たちは恐れに捕らわれて、ゆれ動かされてはいけません。私たちと共におられ、「わたしだ。恐れることはない。」と言われる主の御声を聞いて、主をお迎えしなければなりません。その時、私たちのたましいに真の平安が訪れ、世に打ち勝つ力と勇気を得て、嵐を乗り越えることができます。

祈り:主よ!人生の嵐に出会った時、私たちは恐れるしかありません。しかし主の御声は、私たちを世に打ち勝つ力になることを信じます。

一言:混乱した時、主の御声を聞きます



2012年 05月 05日 (土)

ヨハネ6:22-40
わたしがいのちのパンです

Ⅰ.なくなる食物のためではなく(22-29)
 五つのパンと二匹の魚で五千人をお腹いっぱいに食べさせた翌日のことでした。群衆は熱心にイエス様を捜し回っていました。彼らがこのように切実にイエス様を捜し回る目的は、しるしを見てイエス様を信じようとしたからではありませんでした。パンを食べて満腹になったからでした(26)。
 イエス様は、しるしの本当の目的を知らずに食べる問題にだけ捕らわれている群衆を不憫に思われ、話されました。「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。」(27)。イエス様は、何のために生きるべきか、何のために働くべきか、その人生の本当の目的を教えてくださいました。私たちはなくなる食物のために働く存在ではなく、永遠の神様の真理と栄光のために働く存在です。永遠のいのちに至る食物はイエス様だけです。
Ⅱ.いのちのパンであるイエス様(30-40)
 ユダヤ人たちは、モーセが荒野で先祖たちにマナを食べさせるしるしを行なったように、今、同じようなしるしを見せて欲しい、と要求しました。イエス様は彼らの霊的な無知を悟らせて、イエス様ご自身が天から下って来た本当のパンであり、世にいのちを与えるパンであることを証しされました(33)。いのちのパンであるイエス様を信じて来る者は決して飢えることがなく、永遠に渇くことがありません(35)。イエス様は、ご自分を信じて来る者を、決して捨てることはありません。イエス様は、ご自分のところに出て来る者を一人として失わせず、そればかりか、終わりの日にはよみがえらせ、永遠のいのちを持たせる真のキリストです(40)。

祈り:主よ!なくなる食物に縛られて来た罪を心から悔い改めます。私が永遠のいのちに至る食物であるイエス様をくださった主のために、働くように助けてください。

一言:永遠のいのちに至る食物のために働きなさい



2012年 05月 06日 (日)

ヨハネ6:41-59
イエス様の肉と血

Ⅰ.父から聞いて学んだ者(41-46)
 イエス様が、「わたしは天から下って来たパンである」と言われると、ユダヤ人たちはつぶやきました。彼らはイエス様の両親を知っていましたが、「どうして彼は『わたしは天から下って来た』と言うのか」と言って、イエス様を退けました。イエス様は、ご自分がどんな方であるのかを信じるためには、父なる神様から導かれた者でなければならず、神様の教えを聞いて学んだ者だけが、わたしの所に来ることができる、と言われました(45)。私たちがイエス様のことを正しく知り、従うためには、御霊の導きによって謙遜に御言葉を聞いて従わなければなりません。
Ⅱ.わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者(47-59)
 イエス様がお与えになるパンは、世のいのちのための、ご自分の肉です(51)。イエス様のからだは私たちのたましいの食物であり、その血はまことの飲み物です(55)。イエス様の肉を食べず、血を飲まない者はその中にいのちがありません。ただ、イエス様の肉を食べ、その血を飲む者だけが永遠のいのちを持ち、終わりの日に、イエス様がその人をよみがえらせます。私たちはどのようにしてイエス様の肉を食べ、血を飲むことができるのでしょうか。それは、私の罪のためにむちで打たれ、私のいのちのために十字架で血を流してくださったイエス様の愛と恵みを信じて受け入れることです。そうすると、イエス様が私のうちにとどまられ、私がイエス様の愛の中に生きるようになります(56)。イエス様が父なる神様によって生きるように、イエス様を食べ飲むその人も、イエス様によって生きるようになります。

祈り:主よ!私が主の大いなる贖いの愛を受け入れます。罪人の汚れた罪のために、十字架の上で肉が裂かれ、尊い血を流された恵みを賛美します。

一言:永遠のいのちのパンであるイエス様


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