聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[2012]

2012年 05月 11日 (金)

ヨハネ8:12-20
世の光、イエス様

Ⅰ.わたしは世の光です(12)
 イエス様は、罪と死の勢力によって深いやみの中を歩んでいる世の光として来られました。やみの勢力の下で、全ての人々は、まるでやみと死の陰に座っている者のように、みじめな者となりました。イエス様はこのような世に来られ、「わたしは世の光です。」と証しされました。世の光であるイエス様は、人々をとらえている全てのやみの勢力を退かれ、光輝く新しい人生を生きるようにしてくださいます。彼を信じ従う者の中に、生命力を注いでくださいます。
 イエス様に従う者は決してやみの中を歩むことがありません。イエス様がくださる光と生命によって、人生の方向と目的を持って、勝利の人生を生きるようになります。姦淫の現場で捕らえられた女も、イエス様の光によって変えられ、望みに満ちた新しい人生を生きるようになりました。世の光であるイエス様の中では、どんな人にも望みがあります。これは、イエス様の中で、どんな罪人に対しても強力ないのちの光が照らされるからです。
Ⅱ.わたしの証言は真実です(13-20)
 パリサイ人たちは、世の光であるイエス様を、退けました。イエス様は彼らに、二つのことを証しされました。第一に、イエス様は、ご自分がどこから来て、どこへ行くのかを知っておられます(14)。第二に、イエス様は、いつも神様とともに証しされるので、その証言は真実です(18)。しかしパリサイ人たちは、イエス様を知らなかったので、神様についても知りませんでした。

祈り:主よ!闇の中でさまよっていた罪人に、いのちの光を照らしてくださり感謝します。今からは世の光であるイエス様について行きます。

一言:いのちの光



2012年 05月 12日 (土)

ヨハネ8:21-30
人の子を上げてしまうと

Ⅰ.もし、あなたがたが、わたしのことを信じなければ(21-24)
 ユダヤ人たちは、イエス様が「去って行く」と言われたことについて、何を意味しているのかが分かりませんでした。イエス様は上から来られた方なので、この世の者ではありません。しかし人間は、下から出た者なので、罪とやみに満ちた世に属し、本質的には不従順の子であり、怒りの子です(エペ2:2,3)。イエス様は、このように罪深い人々を救おうと、神様の栄光を捨て、しもべの姿を取って、人として来られました。それで誰でも、イエス様を、神様が遣わされた救い主として信じることができなければ、罪の中で、死ぬしかありません。(24)。
Ⅱ.人の子を上げてしまうと(25-30)
 ユダヤ人たちはキリストを目の前にしても、罪の中で死に向かっていました。イエス様は切なる思いから、彼らが信仰を持つように、訴え続けました。しかしユダヤ人たちは、イエス様の御言葉を一言も受け入れませんでした(22-25)。イエス様は彼らに何と言われたのでしょうか。彼らはイエス様を十字架につけて殺してから、自分たちがどれだけひどい罪人であるのかを悟り、イエス様が神様の御子であり、キリストであることを知るようになる、と言われました(28)。私たち人間は、イエス様の十字架の前に立つたびに、自分が本質的には怒りの子どもであることを悟るようになり、イエス様の贖いの愛がどれだけ大きく驚くべきものであるのかを、受け入れるようになります。この時間、十字架につけられたイエス様の愛を受け入れることができるように、祈ります。

祈り:主よ!本質的には、罪の中で生まれ、罪の中で滅びる私のために、十字架につけられた愛に感謝します。私がこの時間、十字架につけられたイエス様を仰ぎ見て、信仰によって生きます。

一言:十字架を仰ぎ見よう



2012年 05月 13日 (日)

ヨハネ8:31-36
真理はあなたがたを自由にします

Ⅰ.もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら(31-32)
 イエス様は、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われました。「わたしのことばにとどまりなさい。」「とどまる」とは「とどまり続ける」、あるいは「御言葉に根を下ろす」という意味です。一言で、イエス様の御言葉に、心から、従順し続けるという意味です。私たちがイエス様の御言葉にとどまる時、イエス様の本当の弟子になります。
 私たちがイエス様の御言葉にとどまる時、真理を知るようになり、真理が私たちを自由にします。ここで、「真理」は、神様の御子イエス様と十字架の福音を指しています。人々は自由になることを願いますが、自由を得ることができないのは真理を知らないからです。私たちがイエス様の御言葉にととまる時、真理であるイエス様に人格的に会うようになり、十字架の福音の力を受けて、罪と死の勢力から解放されるようになります。
Ⅱ.本当の自由をくださるイエス様(33-36)
 ユダヤ人たちは、歴史的に、エジプト、バビロン、アッシリヤ、バサ、ギリシャの奴隷になったことがあります。今でも、彼らはローマの支配を受けています。しかし彼らはアブラハムの子孫であるという自尊心から、誰かの奴隷になったという現実を認めようとはしませんでした(33)。イエス様は彼らに、罪を犯す者は罪の奴隷だと、言われました。一度罪の奴隷になると、自分の力では決して罪の鎖から抜け出すことができません。ただ、神様の御子イエス様だけが、人間の罪の問題を根本的に解決してくださり、本当の自由をくださいます。

祈り:主よ!私が罪の奴隷にはならず、御言葉に従って、本当の弟子となり、本当の自由を得ることができるように、助けてください。

一言:本当の自由をくださるイエス様



2012年 05月 14日 (月)

ヨハネ8:37-59
神から出た者

Ⅰ.あなたがたがアブラハムの子どもなら(37-47)
 ユダヤ人たちはアブラハムの子孫であるという自尊心から、「罪の奴隷」と言われたイエス様の御言葉を受け入れませんでした。彼らはアブラハムの子孫であるということだけを自慢するだけで、その行ないは見習いませんでした。むしろイエス様を退け、殺そうとしました。彼らは血筋の上ではアブラハムの子孫でしたが、行ないは悪魔のようでした。彼らは根本的に悪魔から出た者であり、悪魔の本性に従って、欲望のまま行ない、偽りを話し、神様の御子を殺そうとしました。しかし神様から出た者は真理の御言葉を聞いて、従います。真理の御言葉を聞くためには、自分の考えと意地と感情を捨てて、神様に心を広げなければなりません。最後まで自分の考えに捕らわれる人は悪魔の勢力から抜け出すことができず、罪の奴隷になります。
Ⅱ.だれでもわたしのことばを守るなら(48-59)
 イエス様は、欲と偽りと人を殺す心で満ちているユダヤ人たちをご覧になり、悪魔の子と言われました。しかし彼らは悪い心を悔い改めませんでした。むしろ「イエス様が狂っている」と言いました。イエス様は天の父から来られたいのちの主です。誰でもこのイエス様を信じるなら、滅びることなく、永遠のいのちを受けます。今、どんな罪の中にいるのかが問題ではありません。誰でもイエス様の御言葉を聞いて従うなら、驚くべきいのちを受け入れ、死の力にも打ち勝つ勝利の人生を生きるようになります(51)。

祈り:主よ!私を、欲望のまま引っ張って行く悪魔の奴隷の人生から救い出し、神様の御言葉を聞いて従う人になるように、助けてください。

一言:神様から出る者になろう


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