聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[2012]

2012年 05月 15日 (火)

ヨハネ9:1-7
盲人の目を開かれたイエス様

Ⅰ.神のわざがこの人に現れるためです(1-3)
 イエス様と弟子たちは道の途中で、生まれつきの盲人を見ました。弟子たちは、「この人が盲人として生まれたのは、誰かの罪のためからなのか。」と尋ねました。彼らは因果応報の考えを持ち、運命的に考えました。しかしイエス様は答えられました。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。」イエス様は、創造の主権と摂理を信じる信仰の目で、盲人をご覧になりました。そうした時、不幸だった人間条件が、神様の栄光を現わす機会であることを発見されました。私たちも、イエス様のように、信仰の目で自分と世の中を見なければなりません。すると、運命を克服し、神様の栄光を現わすことができます。
Ⅱ.泥を作って働かれるイエス様(4-7)
 イエス様は、御言葉だけで盲人の目を開くことも、できました。しかしイエス様は、弟子たちが見ている前で、地面につばきをして、泥を作られ、その泥を盲人の目に塗って言われました。「シロアムの池で洗いなさい。」盲人はイエス様の御言葉に従って、見えるようになりました。大抵、暗い考えをし、無能な人であるほど、環境のせいにします。しかしイエス様はつばで泥を作り、盲人の目が見えるようにされました。イエス様は、今ご自分にあるもので、驚くべきことを行なわれました。神様の栄光を現わそうとする者は、環境と条件を言い訳にしません。心と信仰さえあれば、いくらでも神様の栄光を現わすことができます。

祈り:主よ!私がどんな悪条件の中でも、信仰によって運命に打ち勝ち、今私にあるものを活用して、熱心に働けるように助けてください。

一言:泥を作って働こう



2012年 05月 16日 (水)

ヨハネ9:8-25
ただ一つのことだけ知っています

Ⅰ.イエス様を証しする盲目だった物ごい(8-11)
 近所の人たちは、盲目だった物ごいが見えるようになって歩いているのを見て、彼のことが分かりませんでした。その時、見えるようになったその人は、「私がその人です。」と証ししました。人々は驚いて、「あなたの目はどのようにしてあいたのですか。」と尋ねると、「イエスという方が、泥を作って、私の目に塗り、『シロアムの池に行って洗いなさい。』と言われたので、行って洗うと、見えるようになりました。」と答えました(11)。彼は、過去みじめな盲目の物ごいであったことを認め、今、イエス様によって見えるようになったことを、具体的に証ししました。彼は自分のみじめな過去を隠すこともできました。しかし彼はイエス様の恵みを忘れずに、大胆に証しすることで、受けた恵みにとどまることができました。
Ⅱ.一つのことだけ知っています(13-25)
 パリサイ人たちは、イエス様が安息日を破ったとして、罪人として扱いました。見えるようになった人を呼んで、イエス様を罪人として証言するように、圧力をかけ、脅しました。しかし彼は屈せずに、次のように答えました。「ただ一つのことだけ知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです。」彼は一つだけ知っていることを堅くつかみ、主の恵みに裏切りませんでした。イエス様が自分に施してくださった恵みを堅くつかみ、彼は迫害にも打ち勝ち、信仰が成長するようになりました。祝福の後に伴う迫害と試練を克服し、信仰が成長できる秘訣は、主から受けた一つの恵みを堅くつかむことです。

祈り:主よ!私が受けた恵みを忘れずに、堅くつかむことで、祝福の後の試練を克服し、勝利できるように助けてください。

一言:主から受けた一つの恵みを堅くつかもう



2012年 05月 17日 (木)

ヨハネ9:26-41
主よ、私は信じます

Ⅰ.あなたがたも、あの方の弟子になりたいのですか(26-34)
 パリサイ人たちは、受けた恵みを否定させるために、盲人だった人を続けて尋問しました。普通の人なら、生き残るために、受けた恵みを否定したことでしょう。しかし、むしろ彼は自分に圧力をかけるパリサイ人たちに、「あなたがたも、あの方の弟子になりたいのですか。」と尋ねました。パリサイ人たちはモーセを立てて、イエス様を退けました。しかし彼は、罪人を受け入れない神様がイエス様を通して、働かれたので、「イエス様は神様から来られた方」であることを証ししました。結局、彼はパリサイ人たちの憎しみを買い、破門されました。
Ⅱ.主よ、私は信じます(35-41)
 盲人だった人は主から受けた恵みを守ったことによって、世から捨てられるようになりました。しかしイエス様は彼をお捨てにはなりませんでした。彼を見つけ出して言われました。「あなたは人の子を信じますか。」イエス様は、箔がされ捨てられた彼に、同情されませんでした。代わりに、信仰を植えられました。同情すれば、しばらくはその人の心を慰めることはできますが、信仰を植えるなら、どんな患難や迫害にも打ち勝つ力が生じます。イエス様は、最後まで恵みを裏切らず、信仰の中心を守った彼が、霊的な目も開くように助けてくださいました。試練の時に、最後まで中心を守る人は、必ずさらに大きな祝福を受けるようになります。

祈り:主よ!私が、盲人だった人のように、どんな試練の中でも、信仰の中心を守ることで、さらに大きな祝福を受ける者になるようにしてください。

一言:信仰は勝利


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