聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[2012]

2012年 05月 18日 (金)

ヨハネ10:1-6
羊がついて行く牧者

Ⅰ.羊の名前を知っている牧者(1-3)
 イエス様は、見えるようになった盲人を破門したパリサイ人たちによって、心に大きな衝撃を受けました。彼らは羊の囲いを乗り越えて、羊の命を奪う盗人であり、強盗でした。しかし羊の牧者は門から入り、門番は門を開いて置きます。牧者は羊の特徴に従ってつけためいめいの名前で呼び、羊たちは牧者の声を聞き分けて、出て来ます。このように牧者と羊の間には、深い愛の関係で結ばれています。
 ここで、牧者はイエス様を指します。牧者が羊たちの名前をよく知っていて助けるように、イエス様は私たちの名前を知っておられます。私たちの弱さも知っておられ、私たちの悩みごとも知っておられます。このイエス様を牧者として受け入れた羊たちには、本当に足りないものはありません(詩23:1)。
Ⅱ.先頭に立って行く牧者(4-6)
 牧者は羊を囲いから引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊たちは牧者の声を知っているので、彼について行きます。羊たちは多くの体験を通して、自分の牧者の声を聞いて、その後について行くと、猛獣から保護され、豊かな生活ができることを知っています。
 イエス様は羊のような私たちの先頭を行かれ、猛獣のようなサタンから保護してくださり、霊的、肉的に豊かな生活ができるように助けてくださいます。まことの牧者であるイエス様の御声を聞き、その後について行く人々は、いつも青々とした草原と澄んだ水辺に導かれます。

祈り:主よ!まことの牧者であるイエス様を、私の牧者として受け入れます。その御声を聞いて従い、ついて行きます。

一言:まことの牧者イエス様



2012年 05月 19日 (土)

ヨハネ10:7-21
良い牧者イエス様

Ⅰ.わたしは羊の門です(7-10)
 イエス様は羊の門です(7)。パレスチナの羊の群れは、羊の門を通って囲いの中に入るなら猛獣から守られるように、私たちが羊の門であるイエス様を通って入って行く時、救いを受けます。イエス様は救いに至る唯一の門です(使4:12)。また、私たちは羊の門であるイエス様に出入りするなら、豊かな草を得ます。近頃、多くの若者たちが淫乱サイトを出入りしています。その結果、そのたましいは荒廃して来ています。しかしイエス様と深い関係を結び、その方に出入りするなら、いつの間にか、たましいは豊かになり、たましいは健全になり、豊かな人生を生きるようになります。
Ⅱ.わたしは良い牧者です(11-21)
 イエス様は、「わたしは良い牧者です。」と宣言されました。イエス様が良い牧者である理由は、私たちのために、いのちをお捨てになったからです。雇い人と牧者は普段あまり差がありません。しかし羊の群れが狼の攻撃を受けるようになると、雇い人は、自分の羊ではないので、羊を置き去りにして、逃げて行きます。しかし牧者は羊たちのために、いのちがけで、戦います。良い牧者イエス様は、罪と死の勢力の中に苦しむ羊たちのために、呪いの象徴である十字架にかけられました。また、イエス様は、羊たちの内面の深い所を知っておられ、助けてくださるので、良い牧者です(14,15)。良い牧者イエス様の羊になり、その御声に従う者は本当に幸いな人です。

祈り:主よ!良い牧者イエス様を私の牧者として受け入れます。その御声に聞き従います。

一言:良い牧者イエス様



2012年 05月 20日 (日)

ヨハネ10:22-39
わたしは神様の子です

Ⅰ.イエス様の羊はその御声を聞きます(22-29)
 イエス様が、「わたしは良い牧者である」と証しされると、ユダヤ人たちは反発しました。彼らはイエス様に、「もしあなたがキリストなら、はっきりそう言ってください。」と詰め寄りました。彼らはすでにイエス様が行なわれた奇蹟を見て、イエス様が伝えられた御言葉を聞きました。それにも関らず、彼らはイエス様を信じませんでした。それは、彼らがイエス様の羊ではないからです。イエス様の羊は、イエス様の御声を聞いて従い、ついて行きます。イエス様は、ご自分の御声を聞いて従いついて行く羊に、永遠のいのちを与え、今からとこしえまで保護してくださいます。
Ⅱ.イエス様は神様の御子(30-39)
 イエス様はユダヤ人たちに言われました。「わたしと父とは一つです。」イエス様は肉体を着ておられましたが、その本質は神様です。ユダヤ人たちはイエス様の言葉を聞いて、石打ちにしようとして、石を取り上げました。彼らは、イエス様が神聖冒?罪の罪を犯した、と考えました(33)。しかし彼らは、イエス様が父なる神様の御名で行なわれる御業を目にしました(32)。イエス様は多くの奇蹟を行なわれることで、神様の栄光を現わし、神様の御子であり、キリストであることを現わされました。ところが、ユダヤ人たちはイエス様を神様の御子として認めませんでした。イエス様は彼らに、もう一度旧約聖書を引用して、ご自分の神性を現わされました(36)。彼らはイエス様を信じなくても、その行なわれたことを信じなければなりませんでした。私たちはイエス様の行なわれた御業を一つ一つ黙想して見ると、イエス様がだれであるのかが分かるようになります。

祈り:主よ!私は、イエス様が神様の御子であることを、受け入れます。

一言:神様の御子、イエス様



2012年 06月 21日 (木)

ヨハネ10:40-11:16
世の光イエス様

Ⅰ.なお二日とどまられたイエス様(10:40-11:6)
 マルタとマリヤは、兄弟ラザロが病気になると、人を送って言いました。「あなたが愛しておられる者が病気です。」彼女たちは、この知らせを伝えるとイエス様がすぐに駆けつけて、治してくださることを信じていました。ところがイエス様は、「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」と言われてから、そのおられた所になお二日とどまられました。結局、ラザロは死んでしまいました(14)。イエス様は、この出来事を通して神様の栄光を現わし、彼女たちを更に深い信仰の世界へと導こうとされました。それでクリスチャンは、どんな場合でも、イエス様の愛を疑ったり絶望してはいけません。
Ⅱ.世の光イエス様(7-16)
 二日後、イエス様は弟子たちに「もう一度ユダヤに行こう。」と言われました。そこでは、神聖冒?罪でイエス様を殺そうとするユダヤ人たちが待ち構えていました。弟子たちはそこに行くことをひどく恐れていました。イエス様は恐れている弟子たちに言われました。「昼間は十二時間あるでしょう。だれでも、昼間歩けば、つまずくことはありません。」(9)。イエス様は世の光です。このイエス様を信じる者は決してつまずくことはありません。世の光であるイエス様の中では、死んだ者も眠っている者に過ぎません。イエス様は、マルタとマリヤだけではなく、弟子たちにも復活信仰を植えるようになったことを喜ばれました。

祈り:主よ!世の光であるイエス様を信じる者は決してつまずくことはありません。私が辛い状況だけを見ずに、このイエス様を仰ぎ見ます。

一言:世の光


<<(1)    前のページ(9)    10    次のページ(11)    (21)>>

聖書別日ごとの糧