聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[2012]

2012年 07月 03日 (火)

ヨハネ15:1-17
ぶどうの木

 イエス様はまことのぶどうの木であり、父なる神様は農夫です。私たちは枝です。枝の存在する目的は多くの実を結ぶことです。もっと良い実を結ぼうとする農夫は、まめに腐った枝を刈り取ります。また、無駄な枝は切って、きよくします。ところが弟子たちは、イエス様の御言葉を通して、すでにきよくなりました。彼らは多くの実を結ぶ準備ができていました。だからと言って、自然に実が結ばれるわけではありません。枝が実を結ぶためには、枝にしっかりとくっついていなければなりません。弟子たちも実を結ぶためには、イエス様につながっていなければなりません。枝が木につながっていると、水分と栄養分を受けるように、弟子たちもイエス様がお与えになるいのちの糧をしっかりと受けなければなりません。すると多くの実を結びます。イエス様を離れては何もすることができません。イエス様の中にとどまらない者は、枝のように投げ捨てられ、枯れてしまいます。イエス様にとどまる生活は、具体的に、イエス様の御言葉に聞き従う生活をすることです。また、神様に完全に頼る祈りの生活をすることです。その時、神様が全てのことを成してくださいます。
 私たちが実を多く結べば、父なる神様が栄光を受け、私たちはイエス様の弟子になることができます。そしてイエス様の弟子は互いに愛し合わなければなりません。イエス様は、友だちのためにいのちを捨てる最も大きな愛を示されました。私たちも、この愛を実践しなければなりません。私たちが結ぶべき実は、愛の実です。その愛の実は、一番近くにいる同労者を愛することです。

祈り:主よ!私が主にとどまることで、愛の実を多く結ぶ者になるように、助けてください。

一言:わたしの中にとどまりなさい



2012年 07月 04日 (水)

ヨハネ15:18-27
もし世があなたがたを憎むなら

 世は、イエス様の中にとどまっている者たちを、憎みます。その時、知っておかなければならないことは何でしょうか。世が憎むのは、自分よりもイエス様を憎んでいるからです。世の中で、人々が私たちを迫害するのは、私たちがこの世に属していないからです。この世でイエス様に選ばれ、イエス様に属しているからです。私たちの主人であるイエス様も世に憎まれ、迫害を受けられました。それで主のしもべである私たちが憎まれ、迫害されるのは当然のことです。だからといって、世の中に私たちを憎み迫害する人だけがいるのではありません。私たちが宣べ伝えている神様の御言葉を守っている者もいることを、知らなければなりません。
 世が私たちを憎み、迫害するもう一つの理由は無知だからです。イエス様を遣わされた神様を知らないからです。しかしイエス様はこの地に来られ、ご自分を遣わされた神様を証しされました。それで彼らには弁解する余地がありません。彼らがイエス様を憎むのは、イエス様を遣わされた神様を憎んでいるからです。これは弁解できない罪です。イエス様は誰もできなかった御業を行なわれたことによって、彼らに、神様がご自分を遣わされたことを見せてくださいました。また、真理の御霊、すなわち聖霊もイエス様を証ししました。また、イエス様によって新しい人生を生きるようになった弟子たちも、イエス様を証しします。それで私たちは、世に憎まれ、迫害を受けた時、委縮してはいけません。むしろ充分に証拠があるにも関わらず、信じようとはしない世に向かって、大胆にイエス様を証ししなければなりません。

祈り:主よ!私が憎まれ、迫害される時、委縮せずに、大胆にイエス様を証しできるように助けてください。

一言:イエス様を証ししよう


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