聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[2012]

2012年 07月 05日 (木)

ヨハネ16:1-15
御霊が来ると

 将来、人々は弟子たちを会堂から追放します。弟子たちは徹底的に人々から無視され、嘲笑を受けます。そして人々から殺されるようになります。そうしながら、「これが神様を喜ばせることだ」と考えます。しかしこれは、イエス様と神様を知らない霊的な無知であり、間違った情熱から来るものです。イエス様は、憂いで満ちている弟子たちに、ご自分が離れて行くことがむしろ有益だと、話されました。なぜならイエス様が離れて行くと、助け主御霊が来られるからです。彼らが御霊の助けを体験し、自立信仰を持つことができるからです。
 御霊が来ると、第一に、罪について、世にその誤りを認めさせます。世の中は、何が罪なのかを知りません。彼らに、御霊は、「イエス様を信じないことが罪である」ことを悟らせます。第二に、御霊は義について、世にその誤りを認めさせます。世は、正しいイエス様を十字架につけて殺しました。これは、「世が正しくないこと」を指しています。御霊は、このような世の不義を咎めることで、義のイエス様にひざまづかせます。第三に、御霊はさばきについて、世にその誤りを認めさせます。イエス様の死と復活は、世の王サタンに対するさばきです。その結果、サタンの支配下にあった人々が、今は福音を聞いて救いを受けます。このようなイエス様の勝利を、御霊は悟らせます。御霊は真理の霊として、私たちを全ての真理の中に導き入れます。真理の御霊は自分から話さず、ただ神様から聞いたことだけを話します。

祈り:主よ!御霊が来られ、私の無知を悟らせてくださり感謝します。全ての真理の中に、私を導き入れてください。

一言:御霊が来ると



2012年 07月 06日 (金)

ヨハネ16:16-23
世に勝ったのです

 しばらくすると、弟子たちはイエス様を見ることができなくなります。イエス様が世の罪を負って、死ななければならないからです。それによって、弟子たちは嘆き悲しみますが、世はそれを喜びます。しかし、またしばらくすると、その心配が喜びに変わります。イエス様がよみがえり、天に昇り、御霊を遣わしてくださるからです。その日になると、弟子たちは御霊にあふれ、喜びで満たされるようになります。この喜びは、誰も奪うことのできない永遠の喜びです。イエス様は、弟子たちが受けることのできる別の喜び、すなわち祈りが聞かれることによって来る喜びについて、話されます。「求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。」何でも、イエス様の御名によって求めるなら、神様はみなそれに答えてくださいます。
 弟子たちはついに、イエス様が話される意味を悟り、信仰を告白しました。ところが弟子たちはイエス様を一人残し、みな散らされるようになります。しかしイエス様は淋しくありません。神様が共におられることを、知っておられるからです。むしろイエス様は不安になっている弟子たちに平安を与え、彼らを激励してくださいました。「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」イエス様はすでに世に勝ちました。そして今、勝った者として、権威を持っておられます。私たちも、このイエス様の中で、イエス様を信じることで、すでに世に勝ちました。それで私たちはどんな患難を受けても、委縮してはいけません。勇敢になって、積極的に勝利の福音を宣べ伝えなければなりません。

祈り:主よ!私がすでに勝利したイエス様を信じ、患難の中でも、勇敢に生きることを願います。私を助けてください。

一言:勇敢でありなさい


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