聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[2018]

2018年 05月 21日 (月)

ヨハネの福音書10:1-10(10)
豊かに持つためです

 イエス様は羊の門です。羊の門なので、誰でもイエス様に入るなら救いを得、出入りしながら牧草を見つけます。羊の門であるイエス様が来られた目的は、羊が命を得、豊かに持つためです。イエス様は盲人の目を開き、救いを得させました。誰よりも彼のことをよく知っておられ、繊細にケアしながら導いてくださいました。イエス様の御声を聞いて、羊の門であるイエス様に出入りする人は救いを得ます。イエス様の中で、もっと豊かな命を得ることができます。豊かな命はイエス様とともにする人生にこそあります。

適用:門であるイエス様を通って入っていますか

一言:救われ、牧草を見つけます



2018年 05月 22日 (火)

ヨハネの福音書10:11-21(11)
わたしは良い牧者です

 羊をよく知っておられるイエス様が、羊のために命を捨てる理由は、羊に罪の赦しと救いが必要だからです。イエス様は生まれつきの盲人の痛みを知っておられました。彼に救いと永遠の命が必要であることも知っておられました。彼が罪によって苦しんでいるのも知っておられました。雇い人であるパリサイ人たちがイエス様を殺そうと血眼になっている中でも、イエス様は少しもひるまずに盲目だった人を助けました。イエス様が羊のために命を捨てるのは、力がないからではありません。神様の御心に従順になってイエス様ご自身で捨てられたのです。イエス様は、囲いに属さないほかの羊をも導くために、ご自分の命を自ら捨てようとされました。私たちを愛して命を与えてくださったイエス様、誰よりも私たちをよく知っておられるイエス様を牧者として受け入れるなら、良き牧者イエス様に守られ、導かれる人生を生きるようになります。

適用:雇い人について行ってはいませんか

一言:良い牧者イエス様について行きましょう



2018年 05月 23日 (水)

ヨハネの福音書10:22-42(36)
わたしは神の子である

牧者のことを良く知っているので、羊は牧者について行きます。そして、羊の健康、成長、毎日の生活に対して、牧者が責任を持ってくれます。羊は、自分がどうやって生きてゆくべきかを心配する必要はありません。同じように、私たちもイエス様について行くなら、イエス様が責任もって私たちを導いてくださいます。そして、絶対に誰にも奪われることのない神様の中での永遠のいのちを与えてくださいます。それは、私たちが何か認められるような事をしたからではなく、ただイエス様の羊であるからだけです。そして、狼がイエス様の羊の命を奪い去ろうとしても、すべてにまさって偉大な神様の御手によって羊たちは守られます。父なる神様とイエス様は一つなので、神様がイエス様にお与えになった羊を必ず守ってくださいます。
 ユダヤ人たちは、イエスが自分を神にしようとしていると責め、石打ちにしようとしました。結局、イエス様がキリストかどうかを本当に知りたくて質問をしたのではなかったのです。ただ、目障りだと思ってやっつけるための口実を見つけようとしていただけでした。イエス様が行ったわざを見て信じさえすれば、イエス様が神の御子キリストであることは信じることができます。そして、イエス様の羊となれます。

適用:イエス様の羊はだれですか

一言:イエス様を神の子だと信じている者


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