2018年 05月 24日 (木)
この病気は神の栄光のためのもの
弟子たちは、ユダヤ人たちから石打ちにされることを恐れていました。死は恐ろしいものにしか思えませんでした。通常、ほとんどの人が死を恐れます。しかし、イエス様にあって死は眠りでしかありません。イエス様は死に打ち勝ついのちの光であられます。この光であるイエス様がおられないなら、私たちも死の闇にさいなまれる生き方しか出来ません。しかし、イエス様がおられるので、死の力が強い世の中にあっても光あふれるような人生を歩めるのです。イエス様とともに歩む人にとって死は単なる眠りにすぎません。私たちがよみがえりの信仰を持つこと、それがイエス様の願いです。よみがえりの復活信仰によって昼間の光のように明るく生きることを主は願っておられます。
適用:死で終わりだと考えていませんか
一言:よみがえりの栄光を仰ぎ見てゆきましょう
2018年 05月 25日 (金)
わたしは、よみがえりです。いのちです
適用:死を前にして悲しんでばかりではないですか
一言:決して死ぬことはありません
2018年 05月 26日 (土)
ラザロよ。出て来なさい
墓に来られたイエス様は、墓の石を取りのけるように命じられました。マルタは、ラザロが死んで四日も経ち、死体は腐敗してにおいも出ているから石を取りのけても仕方ないと答えました。しかし、イエス様はこう言われました。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」状況や都合、それらだけを見ていては不信仰に陥るばかりで神の栄光を見ることはできません。神様の栄光を見るには、状況がどうであれ信仰を持つことが大事です。マリヤとマルタは信仰によって、御言葉に従い、石を取りのけました。イエス様は目を上げて、天を見上げて祈られました。マリヤとマルタ、そして回りにいる群衆のために、信じる信仰が与えられるようにお祈りをされました。そして大声で「ラザロよ。出て来なさい。」と叫ばれました。すると、死んでいたラザロが手足を長い布で巻かれたまま出て来たのです。死の世界に閉じ込められていたものを、イエス様の御言葉はいのちの世界へ導きだしてくださったのです。よみがえりであり、いのちであられるイエス様の御言葉を聞くとき、死から命へと移されるのです。
適用:死の力に縛られていませんか
一言:出て来なさい
2018年 05月 27日 (日)
散らされている神の子たちを一つに集めるために
さて、ユダヤ人の過ぎ越しの祭りが間近になり、多くの人々が、エルサレムに上り、イエス様を捜しました。彼らは宮の中に立ち、互いに言い合いました。「あの方は祭りに来られることはないでしょうか。」そして祭司長、パリサイ人たちはイエス様を捕らえるために、イエス様がどこにいるかを知っている者は届け出なければならないという命令を出しました。
適用:イエス様は誰のために死なれたのでしょうか
一言:散らされている神の子のためです
<<(1) 前のページ(10) 11 次のページ(12) (21)>> |