聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[2018]

2018年 09月 26日 (水)

ヨハネの福音書20:1-10(9)
彼らは聖書をまだ理解していなかった

 空っぽの墓は、イエス様の復活の証拠ですが、弟子たちがイエス様の復活に対して完全な信仰を持つようになったきっかけは、記録された御言葉を通してでした。そういうわけで、聖書の著者は、彼らはイエス様が死人の中から蘇るという聖書の御言葉を、まだ知らないと記録しています。奇跡を見て信仰を持つというわけではありません。また天国と地獄に実際行ってみたからといって信仰を持てるわけでもありません。信仰は聞くことから始まります(ローマ10:17)。御言葉を受け入れ、人格的に悟ると、確かな信仰を持てるようになります。

適用:復活信仰はどこから来ますか

一言:御言葉



2018年 09月 27日 (木)

ヨハネの福音書20:11-18(17)
私はあなたがたの神のもとに上る

 イエス様は裏切って離れて行った弟子たちを、兄弟たちとお呼びになり、変わらぬ愛を示してくださいました。イエス様はマリヤに、兄弟たちにご自身が天に上っていかれることを告げるよう命じられました。このことは弟子たちにとって良い知らせでした。イエス様が助け主、聖霊様を送ってくださるからです。軟弱な弟子たちが聖霊を受けると、自立した強い福音の僕に変わることができます。又、弟子たちも復活の初穂となられるイエス様同様に復活し、昇天するからです。イエス様が十字架につけられた時、弟子たちは自分たちの未来に希望が持てなくなり、絶望しました。どこに行けば良いか、人生の方向と目的を失っていました。ところが、イエス様の復活と昇天は、弟子たちが進み行く道を開いてくれました。彼らが行く究極的な目的地は、父がおられる御国です。イエス様は弟子たちの心に生ける望みを植え付けて下さいました。

適用:私たちの究極的な望みは何ですか

一言:御国



2018年 09月 28日 (金)

ヨハネの福音書20:19-31(21)
私もあなたがたを遣わします

 イエス様が来られた時、トマスはその場に居ませんでした。ほかの弟子たちのイエス様に対する証言を聞いても、トマスは自分が直接会わない限り、信じられないと言いました。イエス様はこのようなトマスの為に、八日後、つまり次の日曜日に、再び来られました。トマスに「あなたの指をここにつけて、私の手を見なさい。手を伸ばして、私の脇に差し入れなさい。」と言われました。このようにしてから、トマスはイエス様に「私の主、私の神。」と告白しました。イエス様は「私を見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」と言われました。イエス様を直接見たからといて、全て信じることではありません。福音の御言葉を謙遜に聞くとき、見なくてもイエス様を信じられます。この信仰こそが、堅い信仰です。

適用:主が下さった使命は何ですか

一言:罪の赦しの福音を伝える御業


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