聖書別日ごとの糧   >>   ローマ[2007]

2007年 06月 12日 (火)

ローマ4:1-8
アブラハムとダビデの信仰


Ⅰ.アブラハムの信仰(1-3)

 ユダヤ人たちが最も誇るアブラハムも自分の行ないではなく、信仰によって義と認められました。彼に子どもがまだなかった時、神様は彼に「国々の父になる」と約束されました。神様のその約束があまりにも大きく漠然としていたので信じるのが難しかったはずでした。それでもアブラハムは神様のその御言葉を信じました。彼は自分の体が死んだも同様の体であり、妻サラが身ごもることができなかったことを知っていましたが、神様の約束を信じました。彼にとって神様を信じることは、人間の力では不可能なことであっても、神様の中で望みを持つことでした。それで私たちが神様を信じることは、状況がどうであれ、神様の約束を疑わずに、必ずその約束を成就してくださる神様を信じることです。

Ⅱ.ダビデの信仰(4-8)

 ダビデは神様の罪の赦しの恵みを信じました。ダビデは王でしたが、神様の前で罪を犯した時、幸福ではありませんでした(Ⅱサム12:7-13)。彼は王として自分の罪を正当化することもできました。しかし彼は神様の前に出て行き、自分の罪を認めました。彼は罪の赦しの恵みを信じ、神様が自分の罪を赦してくださるまで、多くの涙を流して祈りました。神様の赦しを信じたので、彼は神様の前で義と認められたのです。そのダビデは幸いな人でした。


祈り:主よ!私がアブラハムとダビデの単純な信仰を学び、幸福な人生を生きることができるように助けてください。

一言:単純な信仰



2007年 06月 13日 (水)

ローマ4:9-12
アブラハムの信仰の足跡


Ⅰ.割礼を受けない者の先祖(9-11)

 アブラハムとダビデはみな割礼を受けたユダヤ人です。だとすれば、割礼を受けたユダヤ人だけが罪の赦しの恵みと幸福を得るのではないのか、という疑問が生じます。しかしパウロは割礼を受けても受けなくても信仰によって生きるなら幸福を受けることができると言っています。アブラハムが割礼を受けたのは、彼が九十九歳の時でした(創17:26)。反面彼が神様に義と認められたのは、彼の信仰の初期でした(創15:6)。すなわち彼は割礼を受ける前にすでに義と認められていました。彼が神様に義と認められたのは割礼によってではなく、信仰によってでした。アブラハムが割礼を受ける前に義と認められたことは、割礼を受けることができなかった異邦人たちも信仰によって義と認められるということを現しています。それで誰でも信仰さえあれば、アブラハムとダビデのように罪の赦しの恵みを受け、幸せになることができます。

Ⅱ.割礼のある者の父(12)

 また、アブラハムは割礼のない者の先祖だけではなく、割礼を受けた者の先祖にもなります。なぜならアブラハムは割礼を受けたイスラエル民族の先祖だからです。彼は自分の本性と世の欲望に従って生きず、神様の約束を信じて生きようとし、割礼を受けました。彼には罪とあやまちが多くありましたが、信仰によって生きました。それで彼は信仰によって生きる子孫たちに信仰の足跡を残しました。


祈り:主よ!信仰の先祖アブラハムを学ばせてくださり感謝します。私もただ信仰によって生き、信仰の足跡を残します。

一言:信仰の足跡



2007年 06月 14日 (木)

ローマ4:17-25
望みえないときに望みを抱く信仰


Ⅰ.約束を信じる信仰(17-21)

 アブラハムは「大いなる国民とする」という神様の約束を信じ、生まれ故郷、父の家を離れ、神様が指示される地に行きました(創12:1-3)。しかし神様の約束は思ったほど早く成し遂げられませんでした。ある日の晩、アブラハムを訪ねて来られた神様は宝石をちりばめたように輝く無数の星を指して言われました。さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。・・・あなたの子孫はこのようになる。」(創15:5)。アブラハムはこの神様の約束を信じました。月日が流れ、子どもを産めないほど年をとってしまっても、その約束は成し遂げられませんでしたが、それでも彼は神様を信じました。彼が信じた神様は死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる全能なる方でした(17)。彼は望みえない時にも望みを抱いて信じました。彼は状況を知っていても信仰が弱くならず、神様の約束を疑いもしませんでした。むしろ信仰が強くなり、神様に栄光をささげ、神様が自分に約束されたものが、成し遂げられることを確信しました。

Ⅱ.また私たちのためです(23-25)

 神様がアブラハムを義とみなされたのは、ただアブラハムのためではなく、その信仰の足跡に従う私たちのためでもあります。私たちが望みえない中で、イエス様の十字架とその復活を信じれば、神様は私たちの信仰をご覧になり、私たちを義と認めてくださいます。


祈り:主よ!ちょっと世の中が変わっただけでも神様の約束を疑った罪を悔い改めます。私はどんな状況の中でも約束をかたく信じます。

一言:望みえない時に信じなさい


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