2007年 06月 26日 (火)
パウロの同胞愛
Ⅰ.パウロの悲しみと痛み(1-3)
パウロはイエス・キリストの中にある驚くべき救いの恵みと救いの御業の秘密を悟るようになりました。彼はイエス様の中にある神様の愛がどれだけ大きく、驚くべきものであり、豊かなのかを体験しました。パウロはイエス様の中にある救いの喜びと救いの秘密をこの世の万民に伝えたいと思っていました。ところが自分の同胞イスラエルがイエス様を退けました。彼はこのことにひどく心を痛めました。彼は自分がキリストから引き離されても、同胞イスラエルが救いを受けることを願いました。パウロは同胞イスラエルを本当に愛していました。
Ⅱ.イスラエルの特権(4,5)
イスラエルは神様の養子として選ばれました。神様がご自分の聖なる栄光を彼らに現されました。他の異邦の民族が虚しい偶像の奴隷になっていた時、イスラエルは創造主神様を礼拝し、仕えることができました。また神様はイスラエルの中で、アブラハム、モーセ、ダビデ、ダニエルのような信仰の先祖たちをお与えになりました。何よりも最も大きな祝福は、キリストがユダヤ人の姿でお生まれになったことです。彼らはイエス様の御言葉を直接聞き、学ぶことができました。しかしイスラエル人たちは神様がお与えになった祝福を担うことができず、むしろキリストを十字架につけて、殺しました。パウロはこのような同胞イスラエルを考える時、ひどく心が痛みました。
祈り:主よ!私もパウロの牧者の心情を学ぶことを願います。同胞と世界に対する燃えるような牧者の心情をください。
一言:私の兄弟、すなわち骨肉の親戚のために
2007年 06月 27日 (水)
本当のイスラエル
Ⅰ.約束の子ども(6-9)
神様は、イスラエルを祭司の王国として立てられ、彼らを通して、全人類を救おうとされました。しかしイスラエルはイエス・キリストを退けました。こうして見ると、イスラエルに置かれた神様の望みの御言葉が廃されたように見えます。しかしパウロは誰が本当の意味でのイスラエルであるのかを考えました。アブラハムには多くの子どもがいましたが、ただイサクから出た者だけがアブラハムの子孫としてみなされました(創17:19)。肉体的にアブラハムの子孫だからといって、イスラエルではありません。神様の約束の子であるイサクだけがイスラエルになることができます。私たちが神様の約束を真実に信じれば、アブラハムの本当に子孫であり、子どもになることができます。
Ⅱ.神様の計画(10-13)
リベカはふたごをみごもりました。彼らがまだ生まれもしなかった時、神様は彼らにすでに御旨を置いておられました。ヤコブとエサウは生まれる前に、善も悪も行ないませんでしたが、神様が主権的にヤコブをお選びになりました(11)。これは神様の計画が人間の行為や条件ではなく、神様の主権によって成し遂げられることを教えてくれます。それで本当のイスラエルはただ神様の主権的に選ばれたことで決定されます。私たちが神様の子どもとなり、神様の御業に用いられるようにことは、ただ神様の恵みによるものです。
祈り:主よ!私がこの驚くべき恵みを覚え、生涯救いの恵みを担う生活ができるように助けてください。
一言:私を選んでくださった神様の恵み
2007年 06月 28日 (木)
あわれみの神様
Ⅰ.あわれまれる神様(14-18)
神様は、自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしまれます。神様は全能なる創造主です。神様は全ての人間をご自分の良い御旨と目的の中で創造されました。神様は傲慢なパロを通してでも、ご自分の良き御業を成し遂げられました。神様は大きな憐れみによって、資格のない私たちを選ばれ、私たちをご自分の救いの御業に尊く用いてくださいます。これは神様のあわれみです。
Ⅱ.陶器を作る者と土のたとえ(19-29)
神様が心をかたくなにされ、心がかたくなな者をさばかれるのなら、神様にあやまちがあるのではないのか、という考えが生じます。しかし私たちは神様を責めて文句を言うことができません。なぜなら神様は「土器を作る者」であり、私たちは「土のかたまり」に過ぎないからです。土器を作る者は土のかたまりで自由にいろんな種類の器を作ることができ、また気に入らない器は任意に壊すことができるからです。しかし神様の主権は善です。神様は怒りの器である異邦人たちを滅ぼさずに、長い間耐え忍ばれ、あわれみを施され、神様の子どもとしてお立てになりました。またあわれみの器はイスラエルの中に野勝った者です。神様は彼らを通してその豊かな栄光を知らせてくださいます。神様は絶対主権を持っておられますが、少しも不義を行なわれません。いつでも正しく、ご自分の主権を正しく行なわれます。
祈り:主よ!怒りの器を、今はあわれみの器としてくださり感謝します。この恵みをいつも覚える人生を生きるように助けてください。
一言:神様の良き主権
2007年 06月 29日 (金)
救いに至る道
Ⅰ.神様の義に従わないイスラエル(9:30-10:4)
使徒パウロの切なる祈りの課題は、イスラエルが救いを得ることでした。しかしイスラエルは神様には熱心でしたが、本当の知識を追い求めず、自分たちが作り出した律法と言い伝えを追い求めました。彼らは神様の義を知りませんでした。それで熱心であればあるほど、結果的には神様の義に服従しなかったのです(3)。神様の義はイエス・キリストです。キリストは律法を終わらせました(4)。自分勝手に律法を追い求めることより、キリスト・イエスを信じなければなりません。
Ⅱ.救いに至る道(5-13)
多くの人々は、救われるためには超人的な能力と節制と苦行を行なわなければならないと考えています(6,7)。しかし人には限界があるので、決して救いを得ることができません。
救いの道は遠いところにあるのではありません。信仰の御言葉、すなわち聖書にあります。また救いの道が難しいのでもありません。イエス様が私の罪によって死なれた私の救い主であることを告白し、また神様がイエス様を死んだ者の中からよみがえらせたことを心から信じるならば、救いを得ます。しかし超人的な能力と節制と苦行をしても、イエス様を信じない者は辱めを受けるようになります。
祈り:主よ!私が神様の義であるイエス様を信じて、聞き従うより、自分勝手に自分なりの熱心で生きてきたことを悔い改めます。私がいつもイエス様を単純に信じて、聞き従う人生を生きるように助けてください。
一言:心で信じ、口で告白
<<(1) 前のページ(8) 9 次のページ(10) (16)>> |