聖書別日ごとの糧   >>   ローマ[2007]

2007年 07月 04日 (水)

ローマ12:1-8
生きた供え物


Ⅰ.聖い、生きた供え物(1,2)

 私たちが救われた神様の子どもになったことで、どんな人生を生きなければならないのでしょうか。私たちのからだを、神様が喜ばれる聖い、生きた供え物としてささげなければなりません。獣をささげる形式的で死んだ供え物ではなく、自分自身を神様に受け入れられる、生きた供え物としてささげなければなりません。それが神様が喜ばれる供え物であり、霊的な礼拝です。

 神様が喜ばれる生きた供え物をささげるためには、この時代を見習ってはいけません。心の一新によって、神様のみこころを見分けなければなりません。この世は人本主義であり、相対主義です。神様に敵対します。それでこの世と調子を合わせれば、決して神様が喜ばれる供え物をささげることができず、この世に信仰の良い影響を及ぼすことはできません。

Ⅱ.キリストのからだ

 クリスチャンは、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなければなりません。一人がすべてのことをし、一人が全ての栄光をみな独占しなければならないと思うことは、愚かな考えです。私たち一人一人はキリストの体を構成する器官です。私たちの手と足には、それにふさわしい務めがあるように、私たち一人一人にも異なった賜物を持っていて、それにふさわしい務めがあります。私たちは、神様が私たちにくださった賜物を感謝して、その賜物で神様を喜ばせることに熱心でなければならず、兄弟たちに仕えなければなりません。


祈り:主よ!私がそれまで世の罪の濁流に流されて来たことを悔い改めます。私のからだを神様に、聖い、生きた供え物としてささげることができるように祈ります。

一言:あなたのからだを、生きた供え物としてささげなさい



2007年 07月 05日 (木)

ローマ12:9-21
善をもって悪に打ち勝ちなさい


Ⅰ.兄弟愛をもって心から互いに愛し合い(9-13)

 愛はキリストのからだである兄弟たちを一つにつなげるものです。しかし愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しまなくてはいけません。兄弟だからといって、無条件受け入れるのが愛ではありません。兄弟の罪を咎めることがさらに大きな愛です。愛は、また先に行なうことです。愛を受けてから愛そうとする愛は誰も愛することができません。怠けていては愛する心を抱いていても、実際には愛することができません。愛は具体的でなければなりません。聖徒たちの入用に協力し、旅人をもてなさなければなりません。

Ⅱ.善によって悪に打ち勝ちなさい(14-21)

 クリスチャンたちは世の人々から迫害を受ける時が多くあります。しかし彼らを呪ってはならず、祝福しなければなりません。泣く人々と共に泣くことはできますが、楽しんでいる人々を見ると、あまりおもしろくなく共に楽しむことは容易なことではありません。しかしクリスチャンは人の悲しみを共にするだけではなく、人の喜びも共にし、祝福する広い内面を持たなければなりません。

 誰に対してでも、悪に悪を報いてはなりません。敵が空腹であれば食べさせ、のどが渇いていれば飲ませなければなりません。なぜそうするべきでしょうか。敵に復讐する権限は神様にあるからであり、また敵を愛することが彼らに打ち勝つ道だからです。敵に復讐するのではなく、打ち勝たなければなりません。


祈り:主よ!私が兄弟を心から愛することができなかった罪を悔い改めます。兄弟を愛し、善によって悪に打ち勝つように、助けてください。

一言:偽りのない兄弟愛


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