聖書別日ごとの糧   >>   ローマ[2007]

2007年 07月 08日 (日)

ローマ14:1-12
互いにさばいてはいけません


 教会にはいろんな種類の人がいます。ある人は信仰が良くどんな食物でも気にせずに食べ、ある人は野菜よりほかには食べません(2)。このような場合、食べる人は食べない人を侮り、食べない人も食べる人をさばいてしまいます(3)。しかし互いにさばくことより、互いに受け入れなければなりません。神様が彼らを受け入れられたことで、救われた神様の子どもだからです。

 どんな食物を食べるべきなのか、どんな日をもっと重んじるのかの問題は、自分の信仰の良心に従って決定しなければならない些細なことです(5)。日を守る人は主のために守っています。食べない人も、主のために食べないのです(6)。私たちクリスチャンはみな、生きるなら主のために生き、死ぬなら主のために死ぬ人々です(8)。それで利己的な欲望のために行なわない限り、互いにさばく必要がありません(7)。

 私たちの全ての行ないをさばかれる方はただキリスト・イエスお一人です。イエス様は死んで、また生きられたので、死んだ人と生きている人をさばかれるさばき主です(9)。私たちはみな最後の日に、さばき主である主の前にひざまづいて、それまで行なったことをみな告白し、さばきを受けるようになります(11)。それで私たちがむやみに兄弟をさばいたり、侮ることは、明らかな越権行為です(10)。私たちは他人をさばく前に、自分を顧みなければなりません。


祈り:主よ!私が自分の基準によって他人をさばき、よく非難しました。今すべてのさばきを神様にゆだね、兄弟を受け入れます。

一言:互いにさばいてはならない



2007年 07月 09日 (月)

ローマ14:13-23
自由と愛


Ⅰ.あなたの食べ物のことで、滅ぼさないでください(13-16)

 クリスチャンはイエス・キリストの福音を受け入れ、罪と律法から自由を得た人々です。クリスチャンは自由人です。しかしこの自由をむやみに使えば、兄弟をつまずかせ、神様の御業を妨げることにもなります。

 当時、ユダヤ教やギリシヤ思想の影響である食物はきよく、ある食物は汚れているという論争がありました。しかし私たちクリスチャンは何でも飲み食いする自由があります。汚れた食物が別にあるのではありません。ただある人が特定の食物が汚れていると思えば、その人にとって汚れているのです(14)。

 それで食物を食べるのに、自由だからと言ってどんな食物もむやみに食べ、兄弟を混乱させてはいけません。それはキリストが身代わりになって死なれた

尊い兄弟を滅ぼす大きな罪です。自分の自由を行なうことより、兄弟を愛することのほうが大切なことです。

Ⅱ.神様の御業を破壊してはいけません(17-23)

 クリスチャンは自由に飲み食いすることによって得る自由と喜びよりも、聖霊による義と平和と喜びを求めなければなりません。大して問題にもならない食物を食べることで、兄弟をつまづかせ、神様の御業を破壊してはいけません。何よりも飲み食いできる自由がありますが、兄弟と神様の御業のためならば、

むしろそれを放棄することは良いことです。


祈り:主よ!私が自由を乱用して、兄弟をよくつまずかせました。これから積極的に教会の徳を高めることに力を入れます。

一言:自由より愛


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