聖書別日ごとの糧   >>   ピリピ[2016]

2016年 10月 30日 (日)

ピリピ人への手紙4:1-9
いつも主にあって喜びなさい

ピリピ教会の聖徒たちは、外的な迫害と内的な争いのため、喜びを失いやすい状況でした。しかし、使徒パウロは “いつも主にあって喜びなさい"と勧めます。彼らが心の平安と喜びを味わうためには、第一に、寛容な心を、すべての人に知らせなければなりません。再び来られるイエスキリストを待ち望み、寛容な心ですべての人を抱いて、愛する時、喜びがあります。第二に、すべての事に神様に感謝をもってささげる祈りと願いをすべきです。色んな問題のことで思い煩うと、喜びが消えます。心配を主に委ねて、祈る時、神様の平安が臨み、神様の助けによって問題が解決されて喜ぶようになります。第三に、学び、受け、聞き、また見たことを実行しなければなりません。罪を犯すとき、神様の平安と喜びを味わうことができません。しかし、聞いて学んだ御言葉を実行する時、神様がくださる平安と喜びが与えられます。私たちに難しい問題があっても、主にあっていつも喜ぶ者となるべきです。

適用:どのようにして喜ぶことができますか?

一言:主にあって



2016年 10月 31日 (月)

ピリピ人への手紙4:10-23
満ち足りることを学びました

使徒パウロは、自分に献金の贈り物を送った聖徒たちを励ましました。彼らの愛に深く感謝しました。パウロは、ピリピ教会の聖徒たちが二度も贈り物を送った事実を言及しました。これを見ると、使徒パウロが物にだけ関心のある人のように誤解されやすいです。しかし、こうした事実を話す理由は、物がほしいからではありませんでした。贈り物を送った彼らが霊的祝福を受けることを教えるためでした。また、この献金は神様の香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。また、これを受けた神様が彼らにキリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、彼らの必要をすべて満たしてくださるように切に祈り求めています。私たちが教会で捧げる献金は、単純に物を捧げる意味だけではありません。この献金には愛の心が込められており、これにより献金する私たちに霊的祝福が与えられ、神様が喜んで受けてくださる供え物となります。私たちが献金する時、こうした意味を思いながら、感謝して喜ぶ心を持たなければなりません。

適用:満ち足りていますか?

一言:どんな境遇にあっても


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